
2012.1.8 RicohPX
旅した場所は綺麗でいいとこばかりかと思えばそうでもない。真実を目にすることもある。
アジアでは特に多かったゴミ溜め。どんなに景色がよかろうと平らで人目につかないところであれば、こんなものを目の当たりにした。
ゴミが散乱しているのは、道からわずかにそれて見晴も良く休憩したいと思えるような場所が多かった。
東南アジアだけでもなく、こんなものは日本を旅していてもよくある光景だと思う。
以前伊豆の海岸をイギリス人と旅していた時、こういったゴミを目にして僕は、「ほとんど流れ着いた韓国や中国からのゴミで、日本人はゴミを無責任に投棄することはしない」と言ったら、「そんなことはない、日本人はゴミに対して無責任だ、俺の国は違う」と主張する彼と討論するはめになった。
一方、タイの友人に「日本はゴミの分別システムが整っていて素晴らしい」と褒められたけど、原発事故一回でその美点も吹き飛んでしまった。
どの国の人だろうと、自国の人間が自分たちの土地を汚し放っておいていることなど認めたくはないはずだ。
かつて家庭で排出されるゴミ等々はすべて土に還っていたのだろうから、ここベトナムでもこうして昔と同じようにポイポイと捨てにくるのだろう。
ただ今はそのゴミ、プラスティックが中心となってしまった。
ゴミに対する教育や廃棄場が整備されていない状態ならば、これも仕方ないともいえるだろう。
よくこういったゴミ捨て場に集まって探し物をしている子供達を見かけた。売って生活の足しにでもなるものはないか探している。
やるせなくなる。
かくいう僕もアジアの自転車旅では毎日ペットボトルの水を買い、その日の宿に空いたペットボトルを捨てるのが常だった。この中にだってそのゴミが混ざっていないとも限らない。
どんなにきれいに見えようとマクロの目で足元を見ればどこにだってゴミは落ちているし、それが集められた場所がある。
だけれど、せめて自分だけでもゴミを出す量の少なき生活を送っていきたいと思う。
ゴミは自分達のエゴや醜さを投影している。