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バイク小僧
- 2010/11/25(Thu) -
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2010.6.15 μ1030

「ミスター!、ヘイミスター!」
自転車で走っているとよくこう声をかけられる。この日もせっせとペダルを踏んで進んでいるところで後ろから声をかけられた。
いつもなら家や店先、小学校などで、その多くは子供たちであることがほとんど。ここは家など見当たらないのなぁと思ったら、子供たちがバイクに乗って後ろから追いかけてきている。
「おいおい無免許に未成年、それもガキじゃないか。生意気にもノーヘルなんぞで2ケツして」とつぶやくが、彼らはいたってにこやかに、かつ執拗に「ミスター!ヘイミスター!」攻撃を仕掛けてくる。

自転車で追いかけてくる子供たちはさすがにこちらもスピードを上げて逃げおせるし、彼らも諦めざるを得ないのだが、バイクではどこまでも追いかけられてしまう。僕も相手にするから彼らがまた喜んでついてくるのだが、こちらもおもしろいからついついかまってしまう。とはいえ道路上はトラックが行き交っているためちんたら走るバイクは非常に危ない。
構わず何キロもついてくるから怒って先へ行けと腕を振って、ようやく彼らはそれでもにこやかに通り越して行った。どうなってんだ、この国の道路交通法は!

自由奔放でいいなと思う反面、果たしてこれが彼らにいいことなのかどうか考えてしまう。
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天然水垂れ流しの宿
- 2010/11/19(Fri) -
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2010.6.26 μ1030

スマトラ島中央にハラウ渓谷という、あまり知られていない美しい集落があった。
泊まる宿がありそうな次の街までの距離が200km越えていたため、とても走りきれる気力もなく、この日は寄り道してでもどこか適度な距離を走ったところに宿はないかと不安に思いながら走っていたところ、偶然見つけ出した場所だった。
街というよりは集落である。渓谷美に優れているためにマニアックな観光客が訪れるらしく、いくつかの小規模な宿があった。

集落の入場ゲートでは何人かの若者達がたむろし、その中の一人が僕に声をかけてきた。
「いい宿あるからついてきな」
うーむ。またしても風貌からしてあやしげ。一方的な誘いにはどうしても警戒してしまう。
けれど逃げる口実も逃げ道も一本道のためになく、彼を信じてバイクの後ろを着いていくことにした。
両脇の高い山に囲まれた渓谷の深みへへと進んでいく。見上げれば滝のしぶきが頭上高く降り注いでくる。

滝の真下に誘いをかけてきた彼、イクバルはバイクを止めて「ここだ」と言う。
右手には優に100mの高さはあろうかという滝、左手には漁師小屋のような小さなコテージ。
「50000ルピア(500円)でいいよ」という。

中は質素な作りだったが、部屋からはライステラスを遠くまで見渡すことができる最高の眺め、ロケーション。
さらにいつも宿では悩まされ続けた水回り、トイレにシャワーは、滝から直接水が引かれているため常に垂れ流し状態で清潔極まりない。お湯など出ないが、偶然インドネシアで最高の宿に泊まることができた。
ただし照明すら、はたまた電気などなく、灯りはランプの宿。

夜、イクバルは奥さんを連れ、食事を携え僕のコテージへと顔出しに来た。
子供達を家に置いて夫婦ですぐ隣にある自分達の立てたコテージに泊まるのだという。
こうして2軒しかまだ建てられていない彼のコテージは僕と彼らとで満室となった。
彼は近くの大きめのホテル(とはいえ小規模だが)から独立し、自分も宿泊したいと思える宿を作ったのだった。

この静かなコテージで、物静かなオーナー達とポツリポツリと会話を交わしながら夜は更けていった。
今にして思えば一泊だけしかできなかったのが残念でならない。
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発展したジャカルタの裏で
- 2010/11/02(Tue) -
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2010.6.8 μ1030

インドネシアの首都ジャカルタ。
15年ぶりの都会は華々しく変貌しているように僕の目には映った。
幹線道路は名古屋のように手広く整備され、市街地の中心部は道が片側4車線にも広がっていた。両脇は高層ビルが立ち並び、まるで新宿の高層ビル街のようでもあった。
テロによる混乱や通貨危機を乗り越え、ここまで発展したのかと驚きつつジャカルタに到着した。

2回目のサイクリング遠征で再出発地のジャカルタへ舞い戻り、数日時間もとれたために表通りを外れて自転車を走らせてみた。聞いてはいたことだけど、そこにはかつて表だったが今は裏の顔となった光景が存在していた。
高層ビルに隠されているかのように、一歩路地に入ればかつてと変わらないジャカルタがそこにはあった。

どぶ川からだか糞尿だか分からない匂いが風に乗って漂い、足元はその匂いを発する水が道路を冠水させ、自転車から水しぶきというか泥しぶきが舞い、あっという間に整備してきた僕の自転車は汚れてしまった。
広い空き地にはバラックの家が所狭しと連なり、踏切を渡ればそこには線路沿いに住む人達の生活があった。

川ではにゴミを広い集め、どこかに売りに行くのだろう。そうして生活の足しにしている人が普通にいる。
バリから走りいろんな田舎を見て来たけど、貧しい生活はあれど凄惨に映るこうした光景はあまり目にしてこなかった。都会での貧困の現実。

ジャカルタの若者達と話をする機会があり、貧困についての考えを聞いてみた。
「この国の政府は彼らを援助するという考えに乏しく、見捨てているようにしか思えない」とさらりと語った。
イスラムの世界では喜捨というものがあるから、人は物を乞い、富めるものは貧しい人に手や金を差し伸べるという。であればこの現実はなんなのだと思わずにいられない。
誰もが自分達の生活で精一杯なのだろうか。田舎で出会った貧しい人達と違い、ここでの貧困層の人達には生の輝きが感じられなかった。
とはいえ僕には何もできない。目をそむけてしまいたくなるものがジャカルタの裏手にはあふれていた。
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明け方の大行進
- 2010/10/27(Wed) -
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2010.6.18 μ1030

前日から泊った宿で夜、男たちに囲まれ「お前も明日の朝ジョギングをやるから参加しな」と誘われていた。眠い目をこすりながらまだ日の明けやらぬ中、宿の敷地へと顔を出すとすでに黄色い集団が列をなしていた。

昨晩は10人ばかりの男と話をしていたから、せいぜいその程度の人数での健康趣味的ジョギングだろうと思っていたのだが、そんな類のものではまるでなかった。「早くしろ」「そこに並べ」とせかされ、僕はいつのまにか騙されたのかその黄色い列に並ぶしかなかった。ざっと見渡すと男女合わせて100人はいる。

きびきびとした号令をかける指導者的な男がいて、あまりおふざけではないと分かり、誘った男もこっそり僕に「見よう見まねで同じ動きすればいいから」とささやく。昨夜の彼らはしきりに「スクールスクール」と言っていたから、年齢的に先生の研修でもしているのだろうと思ったのだが、彼ら自身が受ける職業訓練校でのプログラムのために同じ宿に泊っていたのだった。

ストレッチが始まるが、それは日本の方式とあまり変わらず安心する。前方中心に立つ鬼教官のようなだみ声の男の号令に合わせないと、「おい、そこの黄色い日本人」とでも言われかねない恐ろしさがあった。
しばらくしてようやく黄色い集団は動き出した。ようやくジョギングかと思い安心して走りだすと、すぐに歩きの大行進といったものに変わった。みな軍隊のウォーキングソングのような掛けいをしながらそのリズムに合わせて手足を動かしている。沿道では寝起きの人がなんだなんだという顔で家の窓から顔を出し、子供たちは調子よく一緒に歌って手を振る。僕も巨人軍優勝パレードの選手のように手を振り返す。

まあ、そんな風にして行進したり走ったりしている間は怒られることもないだろうと思いきや、500mでUターンしてすぐに敷地へと戻ってきてしまった。
すると今度は蛙飛びや、ほふく前進が始まり、さらには「右向けー右」左向けー左」と号令に合わせて何度もくるくる一緒になって回った。
言葉が瞬時に分からないため一秒遅れて右向いたり左向いたり、反対に回ったりする僕にあきれたか不憫に思ったか、「もう抜けてもいいぞ」と助け船が出されようやく解放されほっとしたのだった。
そんなことに参加しなくてもいいのだけど、やはりなんだかわけのわからないことに顔を突っ込むことが奇妙におかしく、そして旅はより面白みを増す。

彼らは無事スクーリングを終え、仕事につくことができたのだろうか?
そして何より今日、スマトラで強い地震が起きたことを知り。誰も巻き込まれていないといいのだけどと心配している。
この朝出発時には僕の安否を気づかいつつ皆が温かく送り出してくれた。今僕は彼らの安否が気がかりで仕方ない。
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連続するうねり
- 2010/10/25(Mon) -
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2010.6.27 μ1030

スマトラ島のサイクリングも終盤。標高の高い峠道を超えあとは下るだけ、のち平らな道が続くだろうと高低差が色分けされた地図を見て安堵していた。
この日は区間内に宿がなく、140kmを走り抜かなくてはならなかった。下りばかりでへっちゃらだと見誤り、安易な気持ちでスタートしたのだけど、見事期待は裏切られ、果てしなくアップダウンが続く山道に、心底辟易した。10km進んでは休憩し、目的地手前に宿はないか地元の人に聞くが、案の定宿などはなく、決めた通り日没前に宿のある町まで進むしかなかった。

これで最後の登り下りだと期待してもすぐに裏切られ登りに出くわし、また下りを経て登り返す。
これほど苦しいサイクリングは後にも先にもなかった。40km進んでもまだ100km残し、80km進んでも60kmを残す、足し算引き算を常に頭の中で繰り返しながらようやく10時間漕ぎ続けたところ、町の手前10kmまで来てまた「私の家に泊っていけば」と申し出てくれた優しいおばあちゃんに出会った。
そこまで行くと最後まで行かずにはいられず、断ってしまった。大量の汗をシャワーで流した後に味わう極上ビールの誘惑には勝てず先へと急いだ。
日本のようなトンネルや高架橋がないため地形そのまま通された道はうねりがいつまでもどこまでも続く。生易しい気持ちでは乗り切れないのだけど、やはりこうした道を経て汗水困難あってこそ、サイクリングの旅は濃いものになっていく。

いつもこうした逆境に見舞われると、親切な人が運命のように目の前に現れ手を差しのべ僕を助けてくれるから不思議だ。この日も数々の人に助けや親切に僕は励まされたことをはっきりと覚えている。
色がついていたけどわざわざ家の冷蔵庫から冷たい水を持ってきてくれた人。雑談で気持ちを和ませてくれた人。詳しく先の道の行程を近所の人に聞きまくり坂のあるなしを教えてくれた人。そんな溢れる親切の中で走り切ることができたのだった。まぁ厳しい道のりもそう悪くはないなと思うのである。
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