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商用マサイ
- 2011/03/05(Sat) -
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2010.12.17 NEX-5

キリマンジャロ登山を終え、帰国まで余った日数を費やすために、3日間のサファリツアーに参加した。
その2日目、ドライバーが一人20ドル支払えば、「このさきのマサイの村へ訪問できるけどどうする?」と尋ねてきた。同乗していたポーランド人、フィンランド人達ともに「せっかくだから行きたい」という。
こうなれば僕らも行かざるを得なかった。

車から降りると、早速歓迎のダンスとやらが始まる。
もう一日、さらには毎日何度も行ってきたのだろう。まるで動きに切れがない。緩慢とだらだらと飛び跳ねている彼らを眺めて思わず苦笑してしまった。姿こそ昔から想像していたマサイの人達がそこにいたのだけど、彼らは誇り高き戦士の称号を捨て、観光収入を目当てにしている商用マサイなのだった。

聞いてはいたことだけど、残念に思えた。わかっていたけどやはり何をしても、何を聞いても金をせびられる。
まぁ確かに僕が彼らの立場で、いきなりどかどかと押しかけてきて、いきなりカメラを向けてパシャパシャ撮られたら、そりゃ何か見返りでもくれよと思うことだろう。

ここを訪れる人達は、彼らの生活を見て、自分達との大きな違いを見、彼らのことをこうして僕のように訪れたのだと自慢でもするのだろう。であればその見返りに、確かにいくらかは彼らにお金を払うべきなのかもしれない。

しかし彼らのセールスは執拗だった。到着してから面倒見よく親切に接してきた男もまた、後半になって金、金、金と言いし、なんだか怖くなって早くここから逃げ出したかった。
こうした観光地を足早に通り過ぎるだけでは、本当の彼らの生活には触れられないのだと思う。
あまりの格差がそうさせているのか、彼らの気質なのか、自転車でゆっくり訪れていたら、何か違っていたのだろうかとふと思った。
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憧れ
- 2011/02/22(Tue) -
PC120088.jpg
2010.12.12 μ1030

キリマンジャロ登山口で偶然マレーシア人の登山者と出会った。
なんせこのキリマンジャロ登山を終えたらすぐに、マレーシアへのサイクリングが決まっていただけに、僕にとっては奇跡的偶然とも言えた。

登山者のほとんどが西洋人。彼のような褐色の肌の人は珍しく、
「どこの国から?」と聞くとすぐさま「マレーシアから」という答えが返ってきた。
胸にはマレーシアの国旗の刺繍が縫い付けてある。
先日御殿場のアウトレットモールで、日の丸をジャケットに縫い付けた冬山装備のザックを背負った男が、下半身丸出しすれすれの短パンに、泥除けスパッツを吐いた奇妙ないでたちでノースフェイスのショップを闊歩していたのを目にしたが、同じ国旗を背負うのでも、その奇人とはまるで違う彼は本物の登山家だった。

登山口では大して話ができなかったが、一日目の終了点で当然その日登り始めた人達が全員宿泊するために再会。明けて翌日2日目では、ほとんどの工程を彼と登ることになり、さらにはその2日目の山小屋では同部屋となった。
食事時、スプーンを持つ彼の手を見ると、両手ともに親指だけ残して第一関節から先がない。器用にカメラを手にしてシャッターを押していたから、まさかそんな障害を持っているとは思ってもいなかった。
「エベレストで失くしてしまった」と明るい顔をして彼、ラビはそういうのだった。

日本へ帰ってきてから知ったのだけど、マレーシア人として初めてエベレストに登頂を果たした男だった。
数々のスポンサーを得て、その彼が今週日本にやってくる。
彼にとっての最後のチャレンジ、ネパール・マナスル峰(8163m)登山のためのトレーニング目的の来日。富士山、白馬岳、立山を一週間で三座登るというから、驚きを通り越してあきれてしまう。どこか一つは一緒に登りたいところだけど、僕にはハードルが高すぎる。毎日一緒に行くべきかどうかで悩んでいる。一緒に登れなくても、彼の登山のサポートだけは約束している。事前の準備のためにメールでやり取りをしていたが、なんともレスポンスが遅くてイライラしていた。
しかしふと思い出すのは彼の失った指のことだった。試しに第一関節を折り曲げてタイプしてみると、何とも打つのがめんどくさい。
ついつい彼の天性の明るさと夢を実現しようとする人特有の溢れるエネルギーとに圧倒され、彼の指のことなど忘れてしまっていた。

そんな彼にとってはキリマンジャロなどきっと散歩しているようなものだったのだろうと思う。
これまで登ってきたどの山よりも大変だったと言っていたが、それはガイドとのチップ交渉のためだと言っていた。

ラビ・チャンドラー、彼のホームページを是非一度ご覧下さい!
http://ravichandraneverest.webs.com/
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登山6日目の話
- 2011/02/01(Tue) -
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2010.12.15 NEX-5

一面のグリーン、見事なまでにどこまでも、背の低い木々が山を覆っていた。
登りの時には霧に包まれ、これほどまでには遠くを見渡すことはできなかった。雲を挟んでその隙間から下界がチラチラと顔をのぞかせている。それを見ると寂しいような早く帰りたいような、そんな複雑な気分になった。
しかし依然として吐き気は治まったものの、歩き出して2時間ほどして襲ってきた頭痛に悩まされ続けていた。いまにして思えば、マラリアの予防薬の副作用だったのかもしれない。
この日はガイドのロレンスも別人のように、この木は何という名前で、「こっちきてみ、きれいいな花が咲いているから写真撮れ」とガイドらしく振舞っている。なんとも分かりやすい人である。

初日に泊った山小屋で昼飯を摂って、森深い道に再び帰ってきた。
下山後どうするかを考えなければならなかった。このツアーを申し込んだジャスパーのゲストハウスに泊ることを勧められたが、もうこのジャスパー軍団からは遠く離れたかった。

Kと下山後どうするかを話ながら山を下ると、あっという間に登山道のゲートまで達してしまった。
それでも気持ちがまだ落ち着かないのは、ガイドをしてくれた彼らにチップを渡すという任務が残っていたからだ。Kと前日から一人一人いくら渡すかを話し合った。Kは良くしてくれたモーゼやハッピーゴッドには多めにチップを渡したいという。それには合意。
しかし問題はメインガイドのロレンスだった。チップが少ないとキリマンジャロを初めとした彼らのようなガイド達は、露骨に不平を申し立て、それまでの関係などお構いなしに怒りだすこともあるという。
緊張しつつそのロレンスにチップを手渡すと、彼は渡したUSドルの札の数を数えようともせず、見もせず「サンキュー」と言ってポケットにしまったのだった。
あれほどチップチップと毎日言ってきたのに、彼はその額をまるで気にしていなかった。
驚きだった。
他のみんなも多少の差こそあれ、少なくはない金額を渡してはいた。彼には相場の60ドル。
ロレンスはそんなことより、「ビール、ビール」と、登山口近くのお店に僕らを手招いた。
僕らを案内し、荷物を運んでくれたみんなにビールをご馳走すると、ロレンスは、心底うれしそうに、そして気持ち悪くも僕の肩に頭を乗せて、「ありがとう」と言うのだった。

これには心を揺さぶられた。6日間、ガイドは金のことしか頭になく、親切も何もかもすべてはチップのためになのだと思っていた。その彼がまるでそのチップの額にまるで頓着しなかったことに僕は驚いたし、自分が彼を偏見に満ちた心で常に軽蔑していたことが、申し訳なく思ったのだった。

下山を終えジャスパー軍団から離れたモシの町で宿泊をと考えていたが、送ってくれたホテルには、そのジャスパー本人が待機していて、破格の値段だからといって、次の日からの3日間サファリツアーを売り込みに来た。
なんたる商魂。
僕らはここタンザニアでは結局ジャスパーから逃れることはできず、次の日からも彼の組んでくれたサファリツアーに参加することになったのだった。



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登山5日目の話
- 2011/01/30(Sun) -
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2010.12.14 NEX-5

タイムリミットの0時が来てしまった。
夕方出された食事もほとんど喉を通らず、出発前に用意された軽食を食べる食欲もほとんどない。
仮眠として与えられた9時間、眠りが訪れることもなく、ただただ目をつぶり、この得体のしれない熱が下がるのを祈るようにしてただ待ち望み続けた。インドネシアでも一人熱中症になってベッドでもがき続けたが、眠りと同時にその苦しさから解放されたことがあった。しかしマラリアかもしれず、持ってきていた経口薬を飲んでみたりもしたが、一向に熱は収まる気配はなかった。
一晩中寝袋にくるまりながらも、熱くて服を脱ぎ、そして時に外へ出て雪を頭に押し当てることぐらいしかできなかった。
相棒のKは反対に寒そうに防寒着と厳冬期用の寝袋にくるまりじっと風邪と戦っていた。

そしてついに、ガイドのロレンスが僕らの部屋に来て、「行けるか?」と尋ねた。
普通のまともなガイドだったら、こんな僕らの死に体の様を見れば、下山を促していたに違いないが、彼が僕らの体調のあまりの酷さを見抜けなかったことに、その時だけは感謝した。

「行くよ」と寝袋から抜けだして跳ね起きた。元気を自分からなんとか絞り出さなければ、この状況はもはや改善しそうにもなかった。
うつらうつら真っ暗な外へと出ると、星が無数に瞬いていた。
熱のためかさほど不思議と寒さを感じない。
最後の登山を最悪の状態で迎えることになってしまった。しかし、残酷にもこれまでの平坦な道のりが嘘のように、山を一気に登る本格的な登山となった。標高差1000m。周囲は星意外何も見えない。次第に片方の手に掴んだポールに体を預けなければ歩けないほど、体力は低下していった。
「もう戻ろう」といつロレンスに声をかけようとめげる気持ちと、なんとか上まで上がろうという意地とが戦い続けていた。そして星が夜空に流れる度に、「無事たどりつけますように」と願った。
首から上だけはオーバーヒートしていたため、寒さを感じず、グローブを外して素手で登っていた。いつ終わるとも分からない山の中をただ上を見て歩く。眠気はピークに達し、座って休むごとに、急激に瞼が重くなる。こんなところで眠ったら死んでしまうのではないか、と思いぎりぎりのところでなんとか持ち堪える。ガイドがいるのだから、いざとなればどうとでもなるだろう。

夜中の12時から登り始め、日の登り始める6時前、ついに果てしなく続いていた登りが終わりを告げた。
着いてしばらくしてから太陽が登り始めた。寒いのか熱いのか、眠いのか苦しいのか、感覚は麻痺しながらも辛うじて夜明けの写真だけは撮ることができた。
さらにここにきてようやく高山病にでもなったのか、急に吐き気を催し吐いてしまった。食べていないために出るものもなく、水気だけが絞り出される。しかしいくら吐いても一向に気分はよくならなかった。
苦しさのため達成感もなく、すぐさま下山。Kはゆっくり登っていたため、僕の下山と同時に、アシスタントガイドについて登ってきた。一足先に山頂へ着き、彼を待って一緒に記念写真を撮りたかったが、そうするにはあまりにも僕の体調は悪かった。
彼と無事5時間ぶりに顔を合わせ、彼もなんとかここまで登って来たのをみて、急にやり遂げたという気持ちがこみ上げふいに涙が出た。暗い中、ヘッドライトの明かりが下の方で揺らめいているのだけがずっと見えていたのだけど、彼の体調からしてKが上まで上がってこれるのかが心配だったのだ。
二人で登りきれたことの方が、僕にとってはうれしかったのだろう。

下山中も吐き気は止まらず、げーげー吐き続けた。緑に着色された水筒が、氷点下のために中の水が凍り、味もおかしくなっていた。吐いているブツというか液体も緑色なのを見ると、水筒から水に色素か何かが溶け出したのかもしれない。標高を下げても一向に気持ち悪さは変わらないから、その水に当たったのだろうと推測した。

こうしてふらふらになりながら、下山した。一時は先に進めば進むほど、病院は遠ざかり、安全な場所からは離れていくことに心細さを感じていたが、下山は安全な場所へと向かうだけに気持ちは落ち着きを取り戻している。
急激な熱はマラリアかもしれないと恐れ、それでも登りきったのだ。諦めずに歩いて良かった。
ここ数日ほとんど無口だったKもようやく下山するに連れて元気を取り戻し、二人で会話しながら歩けるようになった。

夕方山小屋へと降り、山での最後の夕食となった。落ち着いた頃、ガイドのロレンス軍団がテーブルにやってくる。「下に降りたら、ビールをおごってくれ」とあけすけもなくそう言った。「彼らにも頼むよ。そしてわかっているだろ?チップよろしく」と、ここ数日で何度も聞いたセリフを残して彼は去っていったのだった。
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登山4日目の話
- 2011/01/27(Thu) -
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2010.12.13 NEX-5

ついに人生初の4000m台に突入。
一日高度順応したせいか、息苦しさも感じず、足取りは軽く、おねだりガイドはマイペースを貫くKにつきっきりだったために置きざりにして、一人先行して勝手に進んだ。

朝から天気は大快晴。最高の気分だった。山小屋から歩き始めて2時間程で峠へとでると、山へと続く道が見渡せたのだった。その先には目指すキリマンジャロ。まだまだ先は長いのだけど、いよいよ核心部に向かうワクワクで心が躍った。後に地獄が待ち受けているとは知らずに、ではあったが。

この一面砂漠のような寂寥感ある中を3時間は進んだだろうか。背面にはこれも5000mを越す山があり、前方後方を山に挟まれた、カルデラのような作りの中を一歩一歩歩き進む。
傾斜は緩いため、それほど息も切れず、景色を楽しみながら歩ける最高の道だった。

午後3時。Kと僕2人は無事KIBO HUTについて夜中12時まで、9時間の休憩が与えられた。
Kは2日目から体調が悪くせき込み、体も冷えてベットで厳冬期用のジャケットとダウンにくるまり、寝ることもままならず体育座りで目をじっとずむって、体力が回復するのを仙人のような面持ちでじっとこらえている。

対面する僕はと言えば、熱が急速に上がり、座っていられなくなり、ベッドに横たわっていた。服を着ているのも暑く、寝袋の中で次第に服を脱がざるを得ないほどの熱。マラリアか、と真っ先に疑った。
「あー、ここまで来てギブアップしなければならないのか。。。」
心の中で、Kに「死ぬなよ」とだけ囁く。お互いさまだけど。
ベッドで横になり、天井を眺めて弱気になることしかできなかった。諦めたくはない、でも熱は下がらない。どうしたらいい?
12時までの9時間はこうしてあっという間に過ぎて行った。(続く)

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