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中国での祈り
- 2012/08/05(Sun) -
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成田の空港近くのホテルに今日来て、中国での旅を振り返ることもできず、あわただしくも早一ケ月が過ぎていたことに気付いた。
記憶のどこかを引っぱり出そうと、IPODの中に残ったいくつかの写真を見てみる。
170kmを走破した中国最後の日、この寺に立ち寄り、ここでは人が祈る姿が印象的だった。
彼らはこちらからカメラを構えて写そうとも気にせず、仏像に向かって手を合わせ、思い思いの祈りのことばを捧げていた。
次から次へとその祈りの列は押し寄せ、僕はそこから動けなくなった。

タイでもたくさん祈る人達を見てきた。その後ろ姿に、頭を床につける姿に神聖なものを感じ、ついついカメラを向けては写真に収めていた。
そして、震災の直後だったこともあって、タイの仏様の前ではいち早く平静に戻ることをいつも祈っていた。
つい先日もタイのお坊さんと日本で数日過ごす機会があり、そんな祈りをいくつものお寺で手を合わせながら先に進んだ旅だったことを思い出した。
ここ中国ではお寺によることが少なかったこともあり、こうした光景に出合うことがなかった。


中国での最後の一日、偶然にもお寺にめぐりあった。基本は皆膝立ちで仏様を拝み、お香を焚き薄い煙の中で長々と手を合わせて祈っていた。
見よう見まねで手を合わせたりして、自分がここまで大きな事故もなく、人の助けや親切に恵まれ、そしてここまで辛抱強く走り続けられた健康とスタミナを維持できる体をくれたこと、そんなことにまずは感謝していた気がする。
僕も膝まづいて周りの人達とともに心の中で祈った。
自分の利益など斬り捨てて生きること、そして自分らしさを失わずに生き抜くことを。
そうありたいと思う自分を改めてここで認識したのだった。
この時の空気と音、そして香りと声とともに写真で蘇った。

とは言え今は、インプラント手術が無事成功することを一番に考えてしまっている。
やむなし。






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英語コンプレックス
- 2012/07/31(Tue) -
DSC06691.jpg
2012.6.25 NEX-5

台湾最後の日は、知り合った人達が僕をいろんな場所へと連れ出してくれた。
二組のカップルで彼氏は2人とも警察官。うち一人は日本語を勉強していてかなり話せる。
彼女達は2人とも空港職員なだけに英語が得意だった。
当然会話は英語なのだけど、彼氏の一人はあまり英語が得意そうではなく、話には積極的に関わってこなかった。それを責める彼女の英語は一級品で、
「なんで英語で話さないの~、高校まででたくさん習ったでしょ~」とこれまた英語で責めるような、からかうような口調で彼氏をいじり倒している。
かつて同じような仕打ちにあったことがある僕としては、断然その彼氏の味方。
しゃべれる人達の前でへたっぴな自分の英語を晒すのが嫌なのだ。それが自分の身近な人だとなおさらである。
「女性というのはそこんとこわかってないんだなぁ、」と彼女に伝えたかったが、そう英語で伝える表現を悲しくも僕は持ち合わせていなかった。

それはさておき、台湾から帰り、猛烈な英語勉強を始め早一ヶ月が過ぎた。
今度こそ今度こそ今度こそと、もう何度目の宣言だかわからないけれど、それでもこうして一ヶ月英語の勉強をし続けたのは人生初めてではないか。
コンプレックス克服の意欲だけで続けている。伝わらなくともためらわず、考えすべてをはき出せることを目標に今更ながら努力を始めた。
9月のTOEICも初めてだけど受講を申し込んだ。こうしてブログにでも宣言するのは、逃げ道を閉ざすためでもある。
模擬テストをいくつも重ね、コンスタントに700点はクリア。では9月の目標を800点に、となるとそんなに甘くはないらしく、それよりもなによりも、話すという実力ではまるで700点らしい英語力を持ち合わせているとも思えない。
まあこれも自転車やカヤックと同じ、使う部分を体から脳みそに変えて、日々距離を伸ばすようにストレッチしながら覚えて行けばいいやと開き直ってから、自然と集中できる時間が増えてきた。
9月に800点。目標は高ければ高い方がいい。他にもやるべきことがあって一番には費やせない目標だけど、とにかくやる。
一番の敵、それはお酒。ビールを飲んだだけで、記憶するための脳は50%ぐらいスペックダウンするということは何となく分かっている。これもいっそ9月までやめてしまうおうか。
夏のビールは魔物だ。

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国境を越えて感じる変化
- 2012/07/15(Sun) -
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2012.6.19 NEX-5

今回のハノイ‐台北間でのサイクリング行程中の記事はすべて書き終えました。
すでに記した台湾でのサイクリングが始まる前の金門島とその他いくつかの写真紹介していきます。
写真は厦門島からその金門島への船に渡るときのターミナル内。

知らずに金門へ簡単に渡れると思って、この日厦門のフェリーターミナルに来たのだけど、カウンターでは
「次の便は欠航です」と言われた。
「台風が近づいてきているから、おそらくその後も船が出せるかわからない」と、受付の女性はいう。
なぜかその船の受付は写真のようにカウンターが長く、取扱いの会社が違うだけで一つの船に対して数社が販売権利を持っているようだった。
にしても多すぎる。そしてすべて対応してくれるのが女性。

英語もあまり通じずに困っていると、別のカウンターから人を連れてきてくれた。なんと日本語を話してくれる方だった。久々の日本語での会話。
「一便待ってみてもし再出航し始めるようなら知らせるから」と僕のパスポートを持ってその女性は裏へと引っ込んでいった。
まつこと2時間くらいだったか。金門島への船は再び運航を始めたために中国からの出国を許されたのだった。

台湾‐中国間といえば国際問題を抱えているだけに難しそうだなと思っていたが、それも今は昔の話でいたってスムーズだった。これならカヤックで2国間渡ることも許可下りたかもしれないと思ったが、それも来てみて初めてわかったことだ。
金門へは20kmほどで1時間ほどの航海。フェリ-に乗りながらカヤックで渡ってる気分で海を眺める。

金門島に無事こうしてついたものの、知らずに接近しつつあった台風の影響で3日間足止めになった。
宿でテレビをつければ「超巨大暴雨嵐襲洪水」みたいなテロップがどのチャンネルでも放送され、自然動かないほうがいいのだな、と結論づけた。
しかし、部屋を出て島を散歩すれば、そんな危機感はどこ吹く風でのどかな沖縄の離島のようなのどかな時間が流れていた。
そうまるで沖縄、というのがここでの強き印象だった。

そういえば鳴り響いていた車・バイクのクラクションの音が島に来て消えた。わずか20km隔てた海を越えただけで文化も気質も変わるものなのか。
確かに中国本土とは異なり様々な異質感は去り、次第に自分の国へと帰りつつあるのだと実感しつつあった。
目に見えない国境線が、それぞに異なるその土地その人に性質を形作っていくその不思議を感じた移動だった。
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最後の一難、通せんぼ
- 2012/07/13(Fri) -
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2012.6.18 NEX-5
Yanxiao - Amoy 170km

中国での最終ラン。半年後、またここには戻ってくる予定。
最後の一日はある程度の距離は覚悟していたのだけど遠かった。朝8時から走り始めて、宿が見つからなかったこともありチェックインは夜8時を過ぎていた。
きついとは思ったけど途中でペダル漕ぐのをやめるわけにもいかない。目指す場所へ何としてでも着かなきゃという一心で厦門島を目指した。

1日のゴール間近まで来て高台に建つ観音様のような石像を見つけてしまったため寄り道した。その時ですでに午後5時で、疲労はピークだったのにも関わらず何百段もある階段を15分ほどかけて登る。さすがに景色は抜群で、これから橋を渡って入る厦門島らしき場所が見渡せていた。
敷地内のお寺を見て回り、余裕の気持ちでラストラン。陽もかげりいい頃合いで橋を渡れそうだった。

ゴール気分で島に渡る橋にさしかかったところ公安に呼び止められた。ちょっと手前に自転車・バイク侵入禁止の看板が出ていたのは知っている。
お決まりのパスポートチェック、中国語能力チェックののち「申し訳ないが通すわけには行かない」とその警官は英語そう僕に告げた。
地図を見る限り、他の橋へ回るにはもう時間も遅すぎた。ふとまあ仕方ないか、的なそぶりをみせたから粘ってねだってみたけど最後は決意したように「ここは通せない」と言われた。
厦門に最短距離で渡ることができた一つ目の橋は公安さんの通せんぼ他の橋へ回らざるを得なかったのだった。
しかし他の橋も自転車で渡れるという保証はどこにもない。

厦門島を隔てる海峡に沿って北へ30分走ると、橋があったが再び自転車禁止の看板。公安はいない。
これが渡れないとなるとさらに遠回りを強いられる。しかもそこは厦門への橋でもなんでもない。
勢いで橋へ侵入。禁止されているスクーターもガンガン渡っていく。

厦門島へ架かる2つ目の橋が見えた。ここも自転車禁止の看板表示があった。首都高の入り口のような高架でさすがに侵入する気も起きなかった。
諦めるわけにもいかない。すぐそこにある島にスクーターですら渡れないなんてことは考えられない。きっとどこかに橋・道はある。
橋へと向かうことのできないスクーター軍団が向かう方へついていくことにした。
橋ではないけれど、埋めたてた堰堤上についているような道、ここだけ自転車が通行を許されている道を見つけた。その道も中間点を過ぎるとその道もまた自転車禁止の看板表示。再びスクーター軍団の流れについていく。
最後は写真の道を通って厦門島に入ることができたのだった。

だがまだ1日はここで終われず。
島内での宿探しに苦難した。地図もなく適当に自転車を走らせていたらどんどん繁華街の方から外れたほう方へすすんでいたのだった。結果夜8時。厦門で最初に見つけた、決して安くはないホテルにへとへとになりながらチェックインしたのだった。
1日で170km走った記憶は過去に1、2度くらいしかない。
でも今回の中国最後にふさわしい1日にもなった。諦めず妥協せず1日走り切ることを求めて毎日過ごしていたし、その最後の日に一番距離を稼げた。
というより道に迷って距離が増えてしまった。

不安トラブル困難ありだからこそ忘れることのできない情景があって、それらは記憶の皺にまた深く残る。
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アヒルカモ
- 2012/07/11(Wed) -
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2012.6.17 NEX-5
Chaozhou-Yanxiao 120km

朝から土砂降りの雨が降っていた。わずかに止んだ頃合いを見計らって宿を飛び出してみたものの、無情にも雨脚は再び強くなり、すぐにずぶ濡れとなってそのまま走り続けて先を急いだ。

憂鬱を晴らしてくれるものが何もない。辺り一面どんよりと灰色で雲は重たく、アスファルトからタイヤが水しぶきを跳ね上げ、背中に泥をかぶるし靴の中に水がたまり、いいことなどまるでなかった。
脇道からパレードらしきズンジャカ音をかき鳴らしながら行列で歩いてくる人達をみて立ち止まって待っていると、亡くなった人を担いで霊柩車へ運んで見送る儀式だった。

葬儀直後、この日唯一心笑った瞬間後に撮った写真。
アヒルというのか鴨というべきかわからないのだけど、辺り一面こいつらで埋め尽くされていた。鳥インフルエンザという言葉が脳裏をよぎる。

そして一日最後の大仕事、宿探しもこの日は困難を極めた。1時間街中を走り回っても、予算をはるかにオーバーする料金の宿しか見つけらていなかった。到着後の達成感は焦りの前に打ち消されていた。
何とか予算内の部屋を確保したころにはもう日暮れで、食事に出て部屋に戻ってすぐに寝る時間を迎えた。
アモイまであと一日あれば届く距離まで来たという安堵感とともにどっと疲れが出て眠りに就いた。

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