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素敵な娘はお婆ちゃん
- 2011/03/09(Wed) -
P3070030.jpg
2011.3.7 μ1030

仕事の下見で箱根の金時山を登る。
朝から小田原は雨が降っていた。それが次第に箱根の山を上がるにつれ当然雪へと変わる。
反対車線の車はどっさりと雪を乗せて走り降りてきた。
「げっ」登ったこともない山なのに、明らかにこれから登る山は、雪まみれだということが分かりげんなりした。遊びならまだしも、仕事でさらっと見て回り、すぐさま下山したかったのだけど、登るべきか、登らざるべきかで迷った。

往復2時間程度だから様子見ながら歩こうと手ぶらで登り始めた。当然登りが一方的に続くが、あまりスリップや雪崩などといった雪山特有のリスクはなかった。
途中上から降りたハイカーが、「上まで行けば今日も金時娘に会えるよ」と言い去って行った。
金時娘とは何者ぞ。
まぁすぐそこまで行けば会えるのだろうから、お楽しみとして再び歩き始める。
頂上が近付くにつれ雪深くなっていく。足元のみ雪山装備だったため心強い。
1時間強登り続けてあっという間に頂上へ着いた。当然誰もいない。山小屋へと入るが、人の気配こそあれど、誰かが接客してくれるわけでもなかった。
しばらくして、人が奥の方から現れた。「げっ、何してんのあんた!」
いきなり怒られてしまった。現代風過剰低姿勢サービス満載の接客などあるわけがなかった。
「こんな雪の日に山なんて登ってくるんじゃないよ」とモンペを履いた戦時中と変わらぬ恰好をして僕を叱るおばあちゃん、その方がまさに金時娘だった。人に厳しいなんだか懐かしさを感じさせるおばあちゃんである。娘というからまぁ30代、大目に見て長年娘だとしてもせいぜい50代というのを想像していたけど、予想をはるかに超え、娘は80歳近いのではなかろうか。

「早く帰りなさい」と早々に追い出されてしまった。
まぁたいして金時山に思い入れがあるわけでもないから、すぐさま下山することにした。

こんな人里離れたさらには山のてっぺんに、代々山小屋を守るためにここで暮らすおばあちゃんがいたことに驚かされた。今月何度もここへと来ることになるだろうから、その都度おばあちゃんには会える。

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期待しすぎはがっかりの素
- 2011/03/06(Sun) -
FH030006.jpg
2004.07.01 Contax3

聞く人によって感想が大きく異なる縄文杉。物事は期待しすぎないほうがいいということだろう。

屋久島縄文杉。聞くところによれば、縄文杉を一目見るために12時間の往復を強いられ、それにも関らず数珠つなぎで山を登ってくる人が絶えないという。
屋久島の人気が絶頂期だったこともあり、そんな山歩きだけは絶対避けたかった。

飲み仲間3名が酔った勢いで突発的に屋久島に行くことになった。僕にとっては再訪だったが、縄文杉には行っていかった。唯一の屋久島経験者の僕は、「縄文杉ばかりが屋久島ではない!」と断言し、「それ以上のいいものが溢れている島なのだからわざわざ一日かけてまで行く価値はない」と行って見てもいないのにそうのたまっていたのだった。

しかし屋久島が初めての2人は縄文杉ばかりがメディアで騒がれ有名になっていたため、絶対行きたいという。
そこで、登山ド素人の2人を連れ花之江河という美しい湿地を抜ける島の南側、淀川口から登り、宮之浦岳を越え白谷雲水峡まで縦走することにした。
この縄文杉に近い新高塚小屋という場所でこれまた山小屋、寝袋初体験の2人と1泊、翌朝まだ静かなうちに、ここ縄文杉へと達した。

一日以上かけてここまで来たからかもしれない。
または、まだ訪れる人もまばらで、静かだったからかもしれない。森の中にどっしりとそびえたつ森のじーさまは、これまでの樹木という範疇を超えた姿形をしていた。
しかしこれがそこらの公園に立っているものだとしたら、これほどまでに有難く祭り上げられる存在とはなりえなかっただろう。頑張ってこそたどり着ける、目標地点としてもふさわしい距離感を持つ山の中にあって、みなゴールとしてここへと訪れるから、2倍増しに感動してしまうのだと思う。

ここからは白谷雲水峡方面へと、ただただ下るのみとなった。
時間がたつにつれて次々に縄文杉へと上がってくる元気のいいおばちゃん達。
うん、やはり縄文杉は静かな中でじっくり眺めるのがいい。
現地のツアーでもこっそり縄文杉の回りにテントを張ったりしているらしい。これはガイドのサービス次第か。

もうかれこれ縄文杉の写真(これではないけど)をデスクトップの背景にしているけど、未だに新しく違うものに変えるということができずにいる。
それ以上のものにまだ出会っていないのかもしれない。
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マレーシア人は国旗がお好き
- 2011/02/28(Mon) -
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2010.2.27 μ1030

マレーシアを旅していて1日たりとも国旗を目にしない日はなかった。
バカでかい国旗が家に、役所に、ホテルに、モスクに、横断歩道にと、それが一枚だけにとどまらず10枚ほど掲揚して風にはためかいる光景もよく見かけた。

今回富士登山に同行してくれたラビもまた国旗がお好きで、彼のジャケットにはマレーシアの国旗が刺繍されている。ジャケットを脱いでもその下の服には国旗、さらに脱いでも国旗というほどの徹底ぶり。
この富士山でも彼は御殿場のどこで見つけてきたのか、この旗をバックパックの中に忍ばせていた。

本当は山頂で、マレーシアの国旗と日の丸を肩組んで2人で掲げてというバカな姿を目標に歩き始めたのだけど、その夢は叶わなかった。
かくして下山途中、こうして国旗を広げたのだった。
そんな僕もかつてオーストラリアを旅している間、自転車にチビ日の丸を取り付けて走っていたことがあった。

自分の為すことに、国の印を掲げるほどの価値と自信を持っているかということが問われるのだ。
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白と黒の幻想的世界
- 2011/02/28(Mon) -

2011.2.27 μ1030

夜の9時に標高1400mほどの御殿場口太郎坊という場所から登山を開始。風はまだまるで吹いていなかった。
エベレスト登頂2回というエキスパートラビは、夜中であれば突風が吹き荒れることもなく、昼よりかは安全に登れると言い、彼に従って夕方から仮眠を取って出発した。

ほんの数ヶ月前、標高5000mを超えるキリマンジャロの最終アタックで、不眠と体調不良で意識が朦朧とする中1000mの標高差を上がらなければならなかった、あの地獄の時間が思い起こされる。眠くてたまらず、何度もふらついて危うく崖下に落ちそうになったことか。
あの時は夜中の12時出発。この日はさらに早い21時出発。標高差は2000mを超えている。

なだらかなコンクリートで覆われた道路を30分ほど歩いて、新五合目に到着。ここからは山道となる。
しばらくはさほど雪がない道で安心感もあった。風もほぼ無風。
2時間ほど登りつめたところで、山は完全に雪で覆われていた。次第に足跡もなくなり心細くなる。
上を見上げれば真っ白な富士山頂が暗闇の中でもうっすら光を放っていて、神々しい。

200mおきに立っている道案内のための柱を目印に登るが、その目印には標高も、方位も何も記されてはいない。しばらく足元に転がっていた区画のためのロープも途絶えてしまった。
さらに登り続けること1時間。
完全に雪山の様子を呈してきた。見上げれば一面の雪斜面。はるか後方には御殿場から裾野、そのさらに先の街の光が輝いている幻想的な空間を目にすることができた。

あれだけ踏み跡があったにも関わらず、ウェザーステーションと書かれた小屋を過ぎてからはまるで足跡がみつけられなくなってしまった。
そうこうするうちにラビはストックの片方を落としてしまう。指のない彼はストックの紐を手首に通すのがおぼつかず、一瞬のうちに雪面を滑り落ちていき、見えぬ彼方へとストックは滑り落ちて行った。
「・・・・」背筋が凍る。
僕は10本歯のアイゼンを履いていたため、足元ががっちり氷にかみつき、歩きやすかったのだけど、ラビは簡易アイゼン、2本歯しか携帯していなかった。そのため道を探すために横へとトラバースするのにとても苦労を強いられた。事前の情報収集により、ほぼ岩場を登ると仮定していたために、アイゼンは軽いものしか持ってはこなかったのだった。

夜中の1時を回り、まだどこまで自分達がどこまで登ってきているのかが分からないでいた。目印がまるでないのだ。さらに突然風がビュービューと鳴り響き始めていた。足の指先もわずかに痺れ始めている。
さらにはラビのアイゼンが足裏から外れてくるりと回り滑って転ぶ。それを起こすことを何度か繰り返していると、
「この状況で頂上までいけると思うか?」とラビは僕に聞いてきた。
「無理だろうね」と僕は応える。
お互いの情報不足、準備不足だったと言える。怖くてたまらなかった僕は、ちゃんと生きて帰れることの安堵感でほっとした。
日が登った後であれば、見通しもあり歩きやすかっただろう。ただしお日様が上がれば風はさらに吹き荒れて足元をすくわれることもある。
そしてついには引き上げることに決めたのだった。

下山途中、突如僕のヘッドライトは消灯した。新しい電池を入れたばかりだというのに消えたということは、故障である。これが頂上へ向かう途中に起きたことだったとしたら、とんでもなく危うい状況に陥っていたことだろう。

かくして駐車場へと戻ると時はすでに3時半。計6時間以上歩き続けていたことになる。
またいつか挑戦しなければならなくなったが、まだ僕はその時ではなかったようだ。
ラビにもっと事前に冬山に関する情報を伝えていなかった僕の失敗でもある。

それでも十分に異次元での体験で楽しかった。白と黒しかないモノトーンの世界でもあった富士山中は、また格別の魅力溢れる場所でもあった。
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惨敗の富士登山
- 2011/02/27(Sun) -
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2011.2.27 μ1030

2ヶ月ぶりにマレーシアのラビと再会。1週間の滞在予定で日本にきている。
富士山に登りたいということで、冬山ド素人の僕は、エベレスト2回登頂している彼となら大丈夫だろうと目論見、彼が日本でかねがね登りたかった富士登山に同行した。

登り始めこそなだらかな斜面に無風、そして雪の上も歩きにくさは感じなかった。
世界最高峰を極めた男は、前日、夜中出発を強く主張していた。彼と会って打ち合わせを始めるまで
夜中凍りついた富士山を登ることなど思いもよらないことだ。
常に緊張感が漂う。キリマンジャロの悪夢かまた蘇ってきた。
7合目を過ぎた辺りだろうか。誰かが通り過ぎた痕跡もなく、ついには道に迷って立ち往生。ラビが持参してきたアイゼンは2本歯で、至る所で横滑りし、しまいには彼が持っていたストックが流され落ちていってしまった。

結果といては山頂までは極められなかったけど、富士山の新たな一面を垣間見ることができた。
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