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毎日ナシゴレン
- 2010/11/29(Mon) -
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2009.12.18 μ1030

インドネシアでは昼夜の食事で屋台を利用していた。
旅の初めの頃は、ものは試しにといろいろなメニューをオーダーして数々の失敗を繰り返していた。
鳥の煮込みスープを頼んだら、いかにも肉を食べ終えた後煮込みましたといわんばかりのかじりついた歯型の後が残った鳥ガラスープが出てきたことがあり、しばらく理解に苦しんだ。
普段お尻を洗い流すのに使う柄杓と同じもので、バケツから水をすくい、コップに入れて「はいどうぞ」と親切心たっぷりの笑顔でテーブルに出された時にも理解に苦しんだ。
ナシゴレンに添えるキュウリを切るのに、サビだらけのカッターで刻んでいて、さらに理解に苦しんだ。
それでも日本人からすればまだライスベースの食事が救いとも言えるが、西洋人からすればこの国の食事はとても耐えがたいものではなかろうか。

屋台も様々で、どこでも同じ味が味わえるというわけにもいかないが、平均してまずまずのものが出てくるのがこのナシゴレンだった。日本でもなじみとなったナシゴレンだけど、いわゆるチャーハンである。それに揚げせんべいみたいなのがくっついてくる。
旅の後半は毎日これを食べてえをしのいでいたけど、次第に食欲もなくなっていった。

とはいえ食べずには生きられない、走れない。
インドネシアでの空気の匂いはどこでもドブの香りが漂い、無理やり口に放り込んでいる食事が続いた。いつしかお腹が空いたという欲求がなくなっていた。

スマトラを経てシンガポールへたどり着いたとたんに、久しぶりにお腹が「ぎゅるー」っと悲鳴を上げた。
それまでのインドネシアの匂いから都会的なものに変わったからだろう。
シンガポールで待ち受けていた友人は、僕を中華料理屋へ連れて行ってくれた。
たまらなくおいしい。
脱ナシゴレン。

数週間後に迫った次のマレーシアのガイドブック見ていて愕然とした。マレーシアの食事というページを見ると「ナシゴレン」がトップを飾っていた。
なんてこったである。
まだまだナシゴレン文化を抜けだせないサイクリングが始まる。
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ただ祈ることしかできない
- 2010/11/16(Tue) -
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2009.12.25 μ1030

ここはイスラム世界の中にいまだ現存して残る巨大な仏教遺跡ボロブドゥール。
今この瞬間にも、このボロブドゥールに近い山が噴火し続け、遺跡にも影響を及ぼすらしい。

僕が訪れたこの時も地震に見舞われた後で、レゴのように積み上げられた石造が崩れ、一年も経過した後だというのに復旧作業をしていた。
まるで巨大なパズルを組見上げるようなものらしく、未だ印の付いた塊がごろごろと、どこへつなぎ合わせるものなのか分からないまま転がっていた。
地震、津波が落ち着いたところで今回の火山の噴火。インドネシアが心配で仕方ない。

イスラム教徒の多いインドネシアにおいてここは、彼らにとってあまり神聖な地ではないのか、みな仏さまの頭をなでまわし、入ってはいけないところによよじ登り写真を撮っている姿をよく見かけた。
日本人は仏教徒と見られるため、この日だけは僕も仏教徒になり済まし、おごそかに見て回るふりをしていた。
これだけのものが作られたことにも驚いたが、栄えた後に歴史がイスラムへと変貌したことへの驚きが上回る。

丘の上から見下ろすように建築されたボロブドゥールには四方八方ひな壇状に鎮座する無数の仏様が大地を見つめている。彼らの慈悲はないものか。ただ僕も手を合わせて彼らの無事を祈るしかない。
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突然の特別授業
- 2010/11/15(Mon) -
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2009.12.23 μ1030

東ジャワ州の東のはずれ Widodaren という集落で、広い敷地の中で牛飼いがトラックをぐるぐると追い立て回しているのを休みがてら眺めていると、男に声をかけられた。
「ちょっとおいで」と。
彼が向かった先はすぐ裏手にあった小学校で、僕が自転車を押しながらついていくと、賑やかな子供たちがわんさかこちらを見ているのが分かった。
「子供達に何か話をしてくれないか」
声をかけてきたのはどうやらこの小学校の校長らしく、彼と出会って10分後には子供たちの前に立たされ、僕はそこで何かを話さなければならないという状況に立たされた。

一体この場で何を語ればいいものやら、いきなりのウルルン滞在記的な状況に戸惑いながらも、こういうときはまず自己紹介だということが頭をよぎり、自分の名前を黒板に書きながら話を始めた。もうそれだけで子供たちが笑っている。
「ナマ、サヤ(私の名前は)」「オランジャパン(日本人です)」と知っているインドネシア語で自己紹介を終え、そこからは僕が話すことを英語の先生が子供たちにインドネシア語で翻訳してくれる、そんな即席の授業が始まってしまった。
日本について、の話をすると子供たちが自分のノートを広げメモを取り始めた。
なんだか責任を感じる。

僕が一番伝えたかったのは、この国が笑顔に溢れ皆生き生きと暮らしていること、それを誇りに思って欲しいということだった。決して暮らし向きは日本などと較べてしまうと楽ではないのだろうけど、僕は日本人の僕らよりよほど幸福感にあふれた生活をしているのではないかと感じていた。

ませた子供が質問をしてくる。
「どうして自転車で旅しているのですか」と。
一瞬僕も答えに窮してしまった。なんで自転車なのか、子供たちに分かるように答えるにはどう伝えればいいのか。
「こうしてみんなとも会えたのは、自転車だったからだよ。そして環境を汚すことなく進むこともできるし、こうして小さな町に立ち寄らざるを得ず、そこではいろんな人達を話ができるし、この国で暮らす人たちの生活を見たり感じたりすることができるから」
そんなことを話した気がする。
「それと長年の夢だったから」
子供受けすることも柄にもなく伝えた。

一時間ほどの即席授業の中で、果たして僕の話がどれだけみんなに伝わったのか、英語だったしよくわからない。
それでも僕にとってはとても異次元の体験だったし、旅ならではの面白体験となった。
最後は校長が、「もう十分だろ?」という制止が入り、僕にとって初めての授業を終えたのだった。

職員室ではまたしても惣菜やらお菓子をごちそうになり、先生や子供たちに見送られながら、学校を後にしたのだった。
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生き抜く力
- 2010/11/13(Sat) -
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2009.12.19 μ1030

インドネシアの男達は車の修理など朝飯前なのか、何でも自分達で手を汚し直している。
よく道端ではボンネットを開け、時には車の下に体ごと突っ込み、故障をどうにか修理しようとしている姿をよく見かけた。JAFなどという行き届いた、いや過保護なサービスなどがないこの国では、自分が車を直す技術や知識がないと、道路上で立ち往生してしまい、どうすることもできなくなってしまうからだろう。自分達で何とかするしかないのだ。

ある時道路上でトラックの横転姿を目撃した。
こんな見事に腹を見せて倒れる大型車というのも珍しい。大したカーブでも坂道でもないのに、どうして倒れているか不思議に思ったのだけど、見ていると何かがおかしい。
そう、懸命に彼ら自身でこの状況を何とか解決しようとしているのだ。
よく見るとそのトラックにロープなどをかけている。
これにはさすがに恐れ入った。

PCスキルを持った男より、車の故障を自分で直すことのできる知識と技術をもった男に憧れる。
サービスにまみれ、お金で何でも買えて自分では何も知らなくていい日本人よりきっと、彼らの方が生きて行くための能力は優れているのだろう。
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鎌の男
- 2010/11/13(Sat) -
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2009.12.17 μ1030

自転車を快調に走らせていると道端から突然「HEY!HEY!HEY!」と大声で叫んで僕を呼びとめる男が現れた。
そのいでたちといかつい顔で、僕の進路を全身で立ちふさごうとしていたから、「これは何だかまずいことになるぞ」と思い身構えた。
しかし無視すると車で追いかけられてしまうのではないかと恐れ、一度立ち止まることにした。
見ると手には鎌を持っている。ますます何だか恐ろしい。
「ちょっと家に寄ってけ」というからそのまま連行され鎌男の家の敷地へと入った。
しばらく中庭で待っていると、裏の草むらから年輩者が現れ、やはり手には鎌を持っている。
しかし左手にはヤシの実を携えていた。
どうやら鎌男の父親らしい。

どうやらもてなしてくれるらしいと気づいたのは、コーヒーやお茶菓子を出されてからだった。
かつて日本で働いたことがある鎌男さんだった。滞在先での日本人や、日本での思い出、その時出会い優しく接してくれた人からの感謝の気持ちから、今こうして日本から来たやつだというだけの理由で僕を大切にもてなしてくれたのだった。

「自転車での体力維持にいいぞ」と身振り手振りで僕にヤシを3つも4つも持って行けと差し出してくる、鎌男の父ちゃん。断り切れず、しばらく自転車のバッグの中は彼らの親切心とヤシそのもので大きくふくらんでいた。

バリではそれまで物をねだられたり、しつこい客引きにあったりなどしていたため、人に対して常に構えてばかりいた。それが反対にものをもらったりしてしまうのだから、とてもびっくりした。
家族総出で家から出た通りで、いつまでもいつまでも手を振って僕を送りだしてくれた。



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