スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
明け方の大行進
- 2010/10/27(Wed) -
P6180278.jpg
2010.6.18 μ1030

前日から泊った宿で夜、男たちに囲まれ「お前も明日の朝ジョギングをやるから参加しな」と誘われていた。眠い目をこすりながらまだ日の明けやらぬ中、宿の敷地へと顔を出すとすでに黄色い集団が列をなしていた。

昨晩は10人ばかりの男と話をしていたから、せいぜいその程度の人数での健康趣味的ジョギングだろうと思っていたのだが、そんな類のものではまるでなかった。「早くしろ」「そこに並べ」とせかされ、僕はいつのまにか騙されたのかその黄色い列に並ぶしかなかった。ざっと見渡すと男女合わせて100人はいる。

きびきびとした号令をかける指導者的な男がいて、あまりおふざけではないと分かり、誘った男もこっそり僕に「見よう見まねで同じ動きすればいいから」とささやく。昨夜の彼らはしきりに「スクールスクール」と言っていたから、年齢的に先生の研修でもしているのだろうと思ったのだが、彼ら自身が受ける職業訓練校でのプログラムのために同じ宿に泊っていたのだった。

ストレッチが始まるが、それは日本の方式とあまり変わらず安心する。前方中心に立つ鬼教官のようなだみ声の男の号令に合わせないと、「おい、そこの黄色い日本人」とでも言われかねない恐ろしさがあった。
しばらくしてようやく黄色い集団は動き出した。ようやくジョギングかと思い安心して走りだすと、すぐに歩きの大行進といったものに変わった。みな軍隊のウォーキングソングのような掛けいをしながらそのリズムに合わせて手足を動かしている。沿道では寝起きの人がなんだなんだという顔で家の窓から顔を出し、子供たちは調子よく一緒に歌って手を振る。僕も巨人軍優勝パレードの選手のように手を振り返す。

まあ、そんな風にして行進したり走ったりしている間は怒られることもないだろうと思いきや、500mでUターンしてすぐに敷地へと戻ってきてしまった。
すると今度は蛙飛びや、ほふく前進が始まり、さらには「右向けー右」左向けー左」と号令に合わせて何度もくるくる一緒になって回った。
言葉が瞬時に分からないため一秒遅れて右向いたり左向いたり、反対に回ったりする僕にあきれたか不憫に思ったか、「もう抜けてもいいぞ」と助け船が出されようやく解放されほっとしたのだった。
そんなことに参加しなくてもいいのだけど、やはりなんだかわけのわからないことに顔を突っ込むことが奇妙におかしく、そして旅はより面白みを増す。

彼らは無事スクーリングを終え、仕事につくことができたのだろうか?
そして何より今日、スマトラで強い地震が起きたことを知り。誰も巻き込まれていないといいのだけどと心配している。
この朝出発時には僕の安否を気づかいつつ皆が温かく送り出してくれた。今僕は彼らの安否が気がかりで仕方ない。
スポンサーサイト
この記事のURL | サイクリング インドネシア② | CM(0) | TB(0) | ▲ top
三浦半島、陸漕ぎ
- 2010/10/26(Tue) -
PA240021.jpg
2010.10.24 μ1030

いつものカヤック仲間と、いつも飽きるほど漕ぎ周っている三浦半島を自転車で周る旅に出かけた。
シーカヤッカーが出航地として集う葉山公園の駐車場に自転車を持って集まると、みなどうにも落ち着かなかった。なんだか女物のパンツを間違って履いてしまったかのようで落ち着かない。それがいつばれるのか気が気でならない。そんな気分だった。

とはいえ共に旅したなまさんは最近サイクリングにとりこで通勤にも自転車に乗り、みさラッタは自分の年齢と同数の国道を端から端まで走るという、ちょっと変わった趣味を持っているだけに、長い距離走るにも、パドルからペダルに動力が変わっても、いつもと変わらずみんな同じペースで楽しく進む。

海から見た三浦と違い陸から見る三浦の海はまた格別で、見直してしまった。そしてそのエリアは広い。小さな漁港がいくつも連なり、山には森がうっそうと茂る。横須賀の海軍カレーに舌鼓を打ち、浦賀の渡し船で旅情を感じ、秋谷のマーローで小腹を満たした。
日帰りだったけど、長い距離を移動するということは旅そのもので、いろんなその地に根差したものを味覚で感じ視覚で感じ、足で起伏を感じて進むことができる。

三浦がまた好きになった。ここに住んで良かったと改めて思った。
この記事のURL | サイクリング 日本 | CM(1) | TB(0) | ▲ top
波にも負けず、冬の寒さにも負けず
- 2010/10/26(Tue) -
P3260239.jpg
2009.3.26 μ1030

西伊豆。まだ冬が明けず気温もまだ寒い。
これまで冬、海に出ることなど考えもしなかった。しかしこのシーズンになると西伊豆にまた人が集まりだしいつしか僕も参加させてもらうようになった。こんな海況で共に海へと出るのはかなりコアなメンバーで、素人といえどかなりのスキルを持った人たちに交じって海へ出る。

外洋から風で増幅しようやく岸にたどり着いた大きな波は派手に崩れ、その勢いは跳ね返って波同士がぶつかりあり複雑な動きをする。
さらに岩場へと踏み込めばそこはロックガーデンと呼ばれ、複雑さは増し、波の上げ下げで岩は見え隠れを繰り返し、タイミングを誤ると1mぐらいの高さであれば容易にカヤックは持ち上げられ、小さい岩の孤島の上にポツリと取り残されてしまう。

なにもこんな寒い中危うき海に出なくてもと思うのだけど、やはり誘われて海へ出ると楽しくて仕方ない。夏、シュノーケリングやキャンプなどの海遊びを交えたカヤックも確かにいいのだけど、シーカヤックはやはり荒れた海に出てこそ的な魅力を感じている。
とはいえ僕のスキルは乏しく、いつもガイドや仲間におぼれかけているところをレスキューしてもらっている。
明らかに自分がひっくりかえると分かっていても安心感を持って難所に挑めるのも彼らがいてこそで、これまで何度も命を救ってもらった。
バランスを失いひっくりかえると冷たい水の中で緊張感はただちに解き放たれ、すべての思考は無と化し、危険な状況にも関わらず嬉しさでうっかり笑みがこぼれてしまう。この爽快感。これも冬カヤックに病みつきなってしまう一因でもあるのだ。

今年もまたそんな時期が近づいてきた。
この記事のURL | シーカヤック | CM(0) | TB(0) | ▲ top
連続するうねり
- 2010/10/25(Mon) -
P6270602.jpg
2010.6.27 μ1030

スマトラ島のサイクリングも終盤。標高の高い峠道を超えあとは下るだけ、のち平らな道が続くだろうと高低差が色分けされた地図を見て安堵していた。
この日は区間内に宿がなく、140kmを走り抜かなくてはならなかった。下りばかりでへっちゃらだと見誤り、安易な気持ちでスタートしたのだけど、見事期待は裏切られ、果てしなくアップダウンが続く山道に、心底辟易した。10km進んでは休憩し、目的地手前に宿はないか地元の人に聞くが、案の定宿などはなく、決めた通り日没前に宿のある町まで進むしかなかった。

これで最後の登り下りだと期待してもすぐに裏切られ登りに出くわし、また下りを経て登り返す。
これほど苦しいサイクリングは後にも先にもなかった。40km進んでもまだ100km残し、80km進んでも60kmを残す、足し算引き算を常に頭の中で繰り返しながらようやく10時間漕ぎ続けたところ、町の手前10kmまで来てまた「私の家に泊っていけば」と申し出てくれた優しいおばあちゃんに出会った。
そこまで行くと最後まで行かずにはいられず、断ってしまった。大量の汗をシャワーで流した後に味わう極上ビールの誘惑には勝てず先へと急いだ。
日本のようなトンネルや高架橋がないため地形そのまま通された道はうねりがいつまでもどこまでも続く。生易しい気持ちでは乗り切れないのだけど、やはりこうした道を経て汗水困難あってこそ、サイクリングの旅は濃いものになっていく。

いつもこうした逆境に見舞われると、親切な人が運命のように目の前に現れ手を差しのべ僕を助けてくれるから不思議だ。この日も数々の人に助けや親切に僕は励まされたことをはっきりと覚えている。
色がついていたけどわざわざ家の冷蔵庫から冷たい水を持ってきてくれた人。雑談で気持ちを和ませてくれた人。詳しく先の道の行程を近所の人に聞きまくり坂のあるなしを教えてくれた人。そんな溢れる親切の中で走り切ることができたのだった。まぁ厳しい道のりもそう悪くはないなと思うのである。
この記事のURL | サイクリング インドネシア② | CM(0) | TB(0) | ▲ top
心優しきじーさまと
- 2010/10/23(Sat) -
P6150196.jpg
2010.6.15 μ1030

スマトラのとある小さな町からさらに数キロ離れた集落でのこと。
店前で座って一休みしていると、僕の方へと一直線にじーさまが向かってきた(写真の一番右の人)。
挨拶もなしに「おい、お前らの国の人間はこのスマトラを3年にも亘って占領していたんだぞ。知っているのか?」そのじーさまはそう言って、手をいきなり僕の首へ突きつけた。
僕は瞬時に固まってしまった。そして「すいませんでした」と言うしかなかった。
逃げるタイミングを失いそのじーさまとしばしご歓談ということになった。にこりともしない怒ったような顔で話をするから、頃合いを見計らってすぐにでも逃げ出したかった。
襲われるかもしれない、、、と怯えながらも、そのじーさまの話に分かったようなふりをしてあいずちを打つしかなかった。

しばらくしてからじーさまはタバコの火を僕の服へと当てるようなそぶりを見せた。
げっ、根性焼きか?おどしか?と思い反射的に後ずさりしようと身を引くと、「動くな」と言ったのだろう。そう威勢のいい声を張り上げる。ピタリと僕は固まってしまった。
次の瞬間そのじーさまは僕が来ていた服のほつれをたばこの火でそっと焼き切ったのだった。

そして「おいっ、お前うちに泊っていけ」と言う。まだこの日は走り始めたばかりで先へ進まなければならなかったこともあり、申し出は泣く泣く断った。
そんな威厳あって威圧的に堂々としつつも人に優しいじーさまを僕はたちまち好きになってしまった。
「サヤ、スカッ、ババッ」と小学一年生しか使わないような教科書的なインドネシア語で「おじさんが好きです」というまさに幼稚としか思えない言い回しで直接的に伝えると、そのときだけじーさまはにっこりとほほ笑んでくれた。

伝えたい表現が使えないというのも困るものだが、それでも気持ちは伝わったのだろう。
それでいいのだと思う。



この記事のURL | サイクリング インドネシア② | CM(3) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。