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登山5日目の話
- 2011/01/30(Sun) -
DSC01089.jpg
2010.12.14 NEX-5

タイムリミットの0時が来てしまった。
夕方出された食事もほとんど喉を通らず、出発前に用意された軽食を食べる食欲もほとんどない。
仮眠として与えられた9時間、眠りが訪れることもなく、ただただ目をつぶり、この得体のしれない熱が下がるのを祈るようにしてただ待ち望み続けた。インドネシアでも一人熱中症になってベッドでもがき続けたが、眠りと同時にその苦しさから解放されたことがあった。しかしマラリアかもしれず、持ってきていた経口薬を飲んでみたりもしたが、一向に熱は収まる気配はなかった。
一晩中寝袋にくるまりながらも、熱くて服を脱ぎ、そして時に外へ出て雪を頭に押し当てることぐらいしかできなかった。
相棒のKは反対に寒そうに防寒着と厳冬期用の寝袋にくるまりじっと風邪と戦っていた。

そしてついに、ガイドのロレンスが僕らの部屋に来て、「行けるか?」と尋ねた。
普通のまともなガイドだったら、こんな僕らの死に体の様を見れば、下山を促していたに違いないが、彼が僕らの体調のあまりの酷さを見抜けなかったことに、その時だけは感謝した。

「行くよ」と寝袋から抜けだして跳ね起きた。元気を自分からなんとか絞り出さなければ、この状況はもはや改善しそうにもなかった。
うつらうつら真っ暗な外へと出ると、星が無数に瞬いていた。
熱のためかさほど不思議と寒さを感じない。
最後の登山を最悪の状態で迎えることになってしまった。しかし、残酷にもこれまでの平坦な道のりが嘘のように、山を一気に登る本格的な登山となった。標高差1000m。周囲は星意外何も見えない。次第に片方の手に掴んだポールに体を預けなければ歩けないほど、体力は低下していった。
「もう戻ろう」といつロレンスに声をかけようとめげる気持ちと、なんとか上まで上がろうという意地とが戦い続けていた。そして星が夜空に流れる度に、「無事たどりつけますように」と願った。
首から上だけはオーバーヒートしていたため、寒さを感じず、グローブを外して素手で登っていた。いつ終わるとも分からない山の中をただ上を見て歩く。眠気はピークに達し、座って休むごとに、急激に瞼が重くなる。こんなところで眠ったら死んでしまうのではないか、と思いぎりぎりのところでなんとか持ち堪える。ガイドがいるのだから、いざとなればどうとでもなるだろう。

夜中の12時から登り始め、日の登り始める6時前、ついに果てしなく続いていた登りが終わりを告げた。
着いてしばらくしてから太陽が登り始めた。寒いのか熱いのか、眠いのか苦しいのか、感覚は麻痺しながらも辛うじて夜明けの写真だけは撮ることができた。
さらにここにきてようやく高山病にでもなったのか、急に吐き気を催し吐いてしまった。食べていないために出るものもなく、水気だけが絞り出される。しかしいくら吐いても一向に気分はよくならなかった。
苦しさのため達成感もなく、すぐさま下山。Kはゆっくり登っていたため、僕の下山と同時に、アシスタントガイドについて登ってきた。一足先に山頂へ着き、彼を待って一緒に記念写真を撮りたかったが、そうするにはあまりにも僕の体調は悪かった。
彼と無事5時間ぶりに顔を合わせ、彼もなんとかここまで登って来たのをみて、急にやり遂げたという気持ちがこみ上げふいに涙が出た。暗い中、ヘッドライトの明かりが下の方で揺らめいているのだけがずっと見えていたのだけど、彼の体調からしてKが上まで上がってこれるのかが心配だったのだ。
二人で登りきれたことの方が、僕にとってはうれしかったのだろう。

下山中も吐き気は止まらず、げーげー吐き続けた。緑に着色された水筒が、氷点下のために中の水が凍り、味もおかしくなっていた。吐いているブツというか液体も緑色なのを見ると、水筒から水に色素か何かが溶け出したのかもしれない。標高を下げても一向に気持ち悪さは変わらないから、その水に当たったのだろうと推測した。

こうしてふらふらになりながら、下山した。一時は先に進めば進むほど、病院は遠ざかり、安全な場所からは離れていくことに心細さを感じていたが、下山は安全な場所へと向かうだけに気持ちは落ち着きを取り戻している。
急激な熱はマラリアかもしれないと恐れ、それでも登りきったのだ。諦めずに歩いて良かった。
ここ数日ほとんど無口だったKもようやく下山するに連れて元気を取り戻し、二人で会話しながら歩けるようになった。

夕方山小屋へと降り、山での最後の夕食となった。落ち着いた頃、ガイドのロレンス軍団がテーブルにやってくる。「下に降りたら、ビールをおごってくれ」とあけすけもなくそう言った。「彼らにも頼むよ。そしてわかっているだろ?チップよろしく」と、ここ数日で何度も聞いたセリフを残して彼は去っていったのだった。
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登山4日目の話
- 2011/01/27(Thu) -
DSC01002.jpg
2010.12.13 NEX-5

ついに人生初の4000m台に突入。
一日高度順応したせいか、息苦しさも感じず、足取りは軽く、おねだりガイドはマイペースを貫くKにつきっきりだったために置きざりにして、一人先行して勝手に進んだ。

朝から天気は大快晴。最高の気分だった。山小屋から歩き始めて2時間程で峠へとでると、山へと続く道が見渡せたのだった。その先には目指すキリマンジャロ。まだまだ先は長いのだけど、いよいよ核心部に向かうワクワクで心が躍った。後に地獄が待ち受けているとは知らずに、ではあったが。

この一面砂漠のような寂寥感ある中を3時間は進んだだろうか。背面にはこれも5000mを越す山があり、前方後方を山に挟まれた、カルデラのような作りの中を一歩一歩歩き進む。
傾斜は緩いため、それほど息も切れず、景色を楽しみながら歩ける最高の道だった。

午後3時。Kと僕2人は無事KIBO HUTについて夜中12時まで、9時間の休憩が与えられた。
Kは2日目から体調が悪くせき込み、体も冷えてベットで厳冬期用のジャケットとダウンにくるまり、寝ることもままならず体育座りで目をじっとずむって、体力が回復するのを仙人のような面持ちでじっとこらえている。

対面する僕はと言えば、熱が急速に上がり、座っていられなくなり、ベッドに横たわっていた。服を着ているのも暑く、寝袋の中で次第に服を脱がざるを得ないほどの熱。マラリアか、と真っ先に疑った。
「あー、ここまで来てギブアップしなければならないのか。。。」
心の中で、Kに「死ぬなよ」とだけ囁く。お互いさまだけど。
ベッドで横になり、天井を眺めて弱気になることしかできなかった。諦めたくはない、でも熱は下がらない。どうしたらいい?
12時までの9時間はこうしてあっという間に過ぎて行った。(続く)

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登山3日目の話
- 2011/01/23(Sun) -
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2011.12.12 NEX-5

朝焼けに染まったキリマンジャロ山頂がお目見え。
5日間で山頂まで行って戻くることも可能だったが、標高の高い登山に慣れていないため、大事をとって6日間のツアーで申し込み、この日は高度順応ということで、この山小屋から近いゼブラロックという場所まで登り降りするという日だった。

高度順応というぐらいだからがっつり登って息を切らるような積極的対策かと思いきや、登り一時間程度といった行程で肩すかしを食らった。
朝も早起きで、3時間ほどで山小屋へと再び降りてきたものだから、時間はたっぷりとあった。PCも携帯もなく、ましてやテレビなどないため、本を読むか日記をつけるか、景色をぼんやり眺めるか、それぐらいしかすることがなかった。でもまぁ、3700mもあるこんな場所で時間を持て余しながら日がなゆるりとした時をすごすというも贅沢な話ではある。
ゼブラロックまでの軽い登りを終え、山小屋へと引き上げた後、ガイドのロレンスは「ビールをおごってくれ」と言ってずっと僕らの泊っていた小屋の前で立ち尽くしていたとKから聞いた。
そのガイドは僕に、「腕時計なくて時間管理できないから、貸してくれ」と言ってきた。
渡してしまおうものなら返ってきそうにもなく、丁重にお断りした。

そんなあきれることに見舞われてはいても、キリマンジャロを目前にして弥が上にも気分は盛り上がる。

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登山2日目の話
- 2011/01/20(Thu) -
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2010.12.11 NEX-5

キリマンジャロはガイドを雇わずに自分達だけで好き勝手に日程を組んであるくことが許されていない。
そのため、どこかの登山ツアー会社を契約を交わさないといけないのだが、ガイドだけではなくポーター、アシスタントガイド、ウェイター、クッカーと様々な役割の人達がもれなく付いてきて、彼らと一緒に山を登ることになる。
彼はウェイターのモーゼ。毎食僕らのもとへと食事を運んでくれるウェイターだった。

2日目の朝の出発時、またしてもトラブルが付きまとう。相棒のKの新調したばかりのスパッツ、カッパのズボン、ザックカバーといったものを失くしてしまった。
前日雨に降られ、濡れた道具類をわずかな晴れ間が出たすきに山小屋前の柵に干していたのだが、おそらく他のグループのポーター達が間違えて持って行ったか、盗んでいったのだろう。
ガイドのロレンスに頼んで、他グループのポーター達に間違って持って行ってはいないか聞いてみてくれと頼んでみたものの、おそらくその後彼らに聞いてくれはしなかっただろう。

雲の上へと出たためか、午前中は雨に降られることはなかった。午後になり一時雨が降り出したが、やがてそれもおさまり、夕方になるとまた晴天に見舞われた。
歩行時間も5時間ほどでそれほどきつくはない登り。そのため正午すぎには早くも山小屋へたどり着き、あとは本を読んだり、景色を眺めたりと、ゆるやかな時間が流れ、夕方になるとこうしてモーゼが食事を携えやってきた。
山の中で用意されるものとしてはまずまずおいしい食事が用意される。二人では食べきれない程たくさん盛られた皿が、テーブルに並べられる。
ビールは多少高いが山小屋で販売しているため、一日1缶買い、あとはウィスキーを一瓶ちびちびとすすった。
しかし、ガイドのロレンスが匂いを嗅ぎつけ、用もないのに僕らのテーブルへとやってきて酒をせびる。
「あげられるほどたくさんの量はないから勘弁してくれ」というと、彼は僕がまだ飲んでいる途中の缶ビールを断りもなくぐびりと勝手に飲んでしまった。

ガイドのロレンスに対して信頼をなくし、この会社と契約したことを心底後悔して事あるごとに苛立っていたが、このモーゼには何度も癒されていた。昼は重い荷物を頭にのせて運び、到着したらすぐにスナックやコーヒー、そしていつもこうして笑みを湛えて食事を運んでくれるのだった。
ガイド達と違い、ポーターやクッカーは日雇いのアルバイトとしてツアー会社と契約していることが多いらしい。
住んでいる町からお金が必要になり、数日キリマンジャロの麓まで来て仕事を得、終えればまた遠く離れた地元へと帰っていく。彼は両親を亡くしたばかりで、いろんな費用を捻出しなければならず、こうしてポーターとしての仕事を得るために山へとやってきたのだった。
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登山1日目の話
- 2011/01/18(Tue) -
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2010.12.10 NEX-5

登山口から1日目の宿泊地マラングハットまでは極めて緩やかな登りだった。

ちらちら雨もぱらつき出した中でのスタート。意外にも森は深く静かな山歩きを楽しめると思った矢先、開始後15分。この森が一旦途切れたところで、どこからともなく子供たちが現れ、突如僕の周りを取り囲んだ。
「ねぇ、僕の写真撮りたくない?」と得意げな顔をした子供が現れる。
かと思えば、「このカメレオン君と遊んで行かない?」と棒の先にアラレちゃんのほよよっとつき出すウンチのように、ほれほれと地味な色した確かにカメレオンを突きつけてくる子供がいる。
知らんわ、と無視して再び歩き始めると、5人ばかりのその子供たちは動ぜず、真横を歩いてついてくる。
何も買わない、撮らない、遊ばないということが分かると、子供達は、
「キリマンジャーロ♪、キリマンジャーロ♪」と変な抑揚をつけて歌い始めた。そのどうしようもない歌声を歩きながら聴くこと1分。
「ねぇ、今僕らの歌聞いたでしょ?はいっ、ギブミーワンダラー」
と手を差しだしてくる。大した商魂ではある。頼みもしないのに、押しつけがましいにもほどがあった。
「何にもいらんわ!」と怒鳴ると、「ちぇっ、ケチなの」とでもいうような顔をして子供たちは元の道へ戻って行ったのだった。

この道を歩いていると、登山からの帰り道なのだろう、別グループのポーター達が荷物を頭に乗せて山から下りて来ていた。
その写真を撮ろうとカメラを構えて、彼らの写真をパチリと納める。
すると、すれ違いざま、
「ギブミーワンダラー」再びである。
なんなんだ?
写真1枚で1ドル要求とはかなりの額ではある。
「景色撮ってただけ」とこちらも応戦してその場はやり過ごした。
また、登山のポーターではないのだろう。刈ってきたばかりと思える竹や、燃料にすると思われる植物を大量に頭に乗せて運びだそうと下ってくる集団がいる。
これはまたいいシャッターチャンスとばかりにカメラを構え、パチリとやると、
「ギブミーワンダラー」である。
もう人を写すのはやめにした。

しばらくすると、雲行きが怪しくなってきた。
いかにも重すぎる荷物を両脇に抱えながら歩いていたガイドのロレンスが、後から僕に追い付いた際、「天気悪くなりそうだね」と聞いてみると、
「まぁ、これならなんとか降らずにもちそうだな」という。
直後、雨は本格的に降り出し、山小屋までの2時間ずぶ濡れの中歩かなければならなかった。
なんだか調子を狂わされることばかりだった。

赤道直下とはいえ、キリマンジャロの山の麓は森に覆われている。その植生はまるで屋久島のようだった。
とはいえ心からこの森を楽しむ心はいろんなことに揺さぶられ、気持ちは高揚感もなく、ただイライラが募った1日目となった。
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