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マレーシア人は国旗がお好き
- 2011/02/28(Mon) -
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2010.2.27 μ1030

マレーシアを旅していて1日たりとも国旗を目にしない日はなかった。
バカでかい国旗が家に、役所に、ホテルに、モスクに、横断歩道にと、それが一枚だけにとどまらず10枚ほど掲揚して風にはためかいる光景もよく見かけた。

今回富士登山に同行してくれたラビもまた国旗がお好きで、彼のジャケットにはマレーシアの国旗が刺繍されている。ジャケットを脱いでもその下の服には国旗、さらに脱いでも国旗というほどの徹底ぶり。
この富士山でも彼は御殿場のどこで見つけてきたのか、この旗をバックパックの中に忍ばせていた。

本当は山頂で、マレーシアの国旗と日の丸を肩組んで2人で掲げてというバカな姿を目標に歩き始めたのだけど、その夢は叶わなかった。
かくして下山途中、こうして国旗を広げたのだった。
そんな僕もかつてオーストラリアを旅している間、自転車にチビ日の丸を取り付けて走っていたことがあった。

自分の為すことに、国の印を掲げるほどの価値と自信を持っているかということが問われるのだ。
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白と黒の幻想的世界
- 2011/02/28(Mon) -

2011.2.27 μ1030

夜の9時に標高1400mほどの御殿場口太郎坊という場所から登山を開始。風はまだまるで吹いていなかった。
エベレスト登頂2回というエキスパートラビは、夜中であれば突風が吹き荒れることもなく、昼よりかは安全に登れると言い、彼に従って夕方から仮眠を取って出発した。

ほんの数ヶ月前、標高5000mを超えるキリマンジャロの最終アタックで、不眠と体調不良で意識が朦朧とする中1000mの標高差を上がらなければならなかった、あの地獄の時間が思い起こされる。眠くてたまらず、何度もふらついて危うく崖下に落ちそうになったことか。
あの時は夜中の12時出発。この日はさらに早い21時出発。標高差は2000mを超えている。

なだらかなコンクリートで覆われた道路を30分ほど歩いて、新五合目に到着。ここからは山道となる。
しばらくはさほど雪がない道で安心感もあった。風もほぼ無風。
2時間ほど登りつめたところで、山は完全に雪で覆われていた。次第に足跡もなくなり心細くなる。
上を見上げれば真っ白な富士山頂が暗闇の中でもうっすら光を放っていて、神々しい。

200mおきに立っている道案内のための柱を目印に登るが、その目印には標高も、方位も何も記されてはいない。しばらく足元に転がっていた区画のためのロープも途絶えてしまった。
さらに登り続けること1時間。
完全に雪山の様子を呈してきた。見上げれば一面の雪斜面。はるか後方には御殿場から裾野、そのさらに先の街の光が輝いている幻想的な空間を目にすることができた。

あれだけ踏み跡があったにも関わらず、ウェザーステーションと書かれた小屋を過ぎてからはまるで足跡がみつけられなくなってしまった。
そうこうするうちにラビはストックの片方を落としてしまう。指のない彼はストックの紐を手首に通すのがおぼつかず、一瞬のうちに雪面を滑り落ちていき、見えぬ彼方へとストックは滑り落ちて行った。
「・・・・」背筋が凍る。
僕は10本歯のアイゼンを履いていたため、足元ががっちり氷にかみつき、歩きやすかったのだけど、ラビは簡易アイゼン、2本歯しか携帯していなかった。そのため道を探すために横へとトラバースするのにとても苦労を強いられた。事前の情報収集により、ほぼ岩場を登ると仮定していたために、アイゼンは軽いものしか持ってはこなかったのだった。

夜中の1時を回り、まだどこまで自分達がどこまで登ってきているのかが分からないでいた。目印がまるでないのだ。さらに突然風がビュービューと鳴り響き始めていた。足の指先もわずかに痺れ始めている。
さらにはラビのアイゼンが足裏から外れてくるりと回り滑って転ぶ。それを起こすことを何度か繰り返していると、
「この状況で頂上までいけると思うか?」とラビは僕に聞いてきた。
「無理だろうね」と僕は応える。
お互いの情報不足、準備不足だったと言える。怖くてたまらなかった僕は、ちゃんと生きて帰れることの安堵感でほっとした。
日が登った後であれば、見通しもあり歩きやすかっただろう。ただしお日様が上がれば風はさらに吹き荒れて足元をすくわれることもある。
そしてついには引き上げることに決めたのだった。

下山途中、突如僕のヘッドライトは消灯した。新しい電池を入れたばかりだというのに消えたということは、故障である。これが頂上へ向かう途中に起きたことだったとしたら、とんでもなく危うい状況に陥っていたことだろう。

かくして駐車場へと戻ると時はすでに3時半。計6時間以上歩き続けていたことになる。
またいつか挑戦しなければならなくなったが、まだ僕はその時ではなかったようだ。
ラビにもっと事前に冬山に関する情報を伝えていなかった僕の失敗でもある。

それでも十分に異次元での体験で楽しかった。白と黒しかないモノトーンの世界でもあった富士山中は、また格別の魅力溢れる場所でもあった。
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惨敗の富士登山
- 2011/02/27(Sun) -
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2011.2.27 μ1030

2ヶ月ぶりにマレーシアのラビと再会。1週間の滞在予定で日本にきている。
富士山に登りたいということで、冬山ド素人の僕は、エベレスト2回登頂している彼となら大丈夫だろうと目論見、彼が日本でかねがね登りたかった富士登山に同行した。

登り始めこそなだらかな斜面に無風、そして雪の上も歩きにくさは感じなかった。
世界最高峰を極めた男は、前日、夜中出発を強く主張していた。彼と会って打ち合わせを始めるまで
夜中凍りついた富士山を登ることなど思いもよらないことだ。
常に緊張感が漂う。キリマンジャロの悪夢かまた蘇ってきた。
7合目を過ぎた辺りだろうか。誰かが通り過ぎた痕跡もなく、ついには道に迷って立ち往生。ラビが持参してきたアイゼンは2本歯で、至る所で横滑りし、しまいには彼が持っていたストックが流され落ちていってしまった。

結果といては山頂までは極められなかったけど、富士山の新たな一面を垣間見ることができた。
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憧れ
- 2011/02/22(Tue) -
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2010.12.12 μ1030

キリマンジャロ登山口で偶然マレーシア人の登山者と出会った。
なんせこのキリマンジャロ登山を終えたらすぐに、マレーシアへのサイクリングが決まっていただけに、僕にとっては奇跡的偶然とも言えた。

登山者のほとんどが西洋人。彼のような褐色の肌の人は珍しく、
「どこの国から?」と聞くとすぐさま「マレーシアから」という答えが返ってきた。
胸にはマレーシアの国旗の刺繍が縫い付けてある。
先日御殿場のアウトレットモールで、日の丸をジャケットに縫い付けた冬山装備のザックを背負った男が、下半身丸出しすれすれの短パンに、泥除けスパッツを吐いた奇妙ないでたちでノースフェイスのショップを闊歩していたのを目にしたが、同じ国旗を背負うのでも、その奇人とはまるで違う彼は本物の登山家だった。

登山口では大して話ができなかったが、一日目の終了点で当然その日登り始めた人達が全員宿泊するために再会。明けて翌日2日目では、ほとんどの工程を彼と登ることになり、さらにはその2日目の山小屋では同部屋となった。
食事時、スプーンを持つ彼の手を見ると、両手ともに親指だけ残して第一関節から先がない。器用にカメラを手にしてシャッターを押していたから、まさかそんな障害を持っているとは思ってもいなかった。
「エベレストで失くしてしまった」と明るい顔をして彼、ラビはそういうのだった。

日本へ帰ってきてから知ったのだけど、マレーシア人として初めてエベレストに登頂を果たした男だった。
数々のスポンサーを得て、その彼が今週日本にやってくる。
彼にとっての最後のチャレンジ、ネパール・マナスル峰(8163m)登山のためのトレーニング目的の来日。富士山、白馬岳、立山を一週間で三座登るというから、驚きを通り越してあきれてしまう。どこか一つは一緒に登りたいところだけど、僕にはハードルが高すぎる。毎日一緒に行くべきかどうかで悩んでいる。一緒に登れなくても、彼の登山のサポートだけは約束している。事前の準備のためにメールでやり取りをしていたが、なんともレスポンスが遅くてイライラしていた。
しかしふと思い出すのは彼の失った指のことだった。試しに第一関節を折り曲げてタイプしてみると、何とも打つのがめんどくさい。
ついつい彼の天性の明るさと夢を実現しようとする人特有の溢れるエネルギーとに圧倒され、彼の指のことなど忘れてしまっていた。

そんな彼にとってはキリマンジャロなどきっと散歩しているようなものだったのだろうと思う。
これまで登ってきたどの山よりも大変だったと言っていたが、それはガイドとのチップ交渉のためだと言っていた。

ラビ・チャンドラー、彼のホームページを是非一度ご覧下さい!
http://ravichandraneverest.webs.com/
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クアンタンまで240km也
- 2011/02/19(Sat) -
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2010.12.23 μ1030

僕の自転車には、走った距離が即座に分かるサイクルコンピューターを取り付けていない。
たいがいどこでもこうした距離表示ポストが道端に建っているため、これと地図を見比べながら進んだ大体の距離感をつかみながら走っている。

ここマレーシアは有難いことに1kmおきにこのポストが建っていた。次の大きな街、クアンタンまで240km。この反対面には、通り去った街までの距離と掲げられているから、そこからここまで何km進んできたのかも分かる。
これまで旅してきた国では、そのポストの間隔は5kmおきであることがほとんどだった。
1kmおき、ということはクアンタンまで240回このポストを見て、その都度あと何kmなのかを計算してきたということになる。
初めこそ、「1」「2」「3」「4」と2分から3分おきに現れるこのポストを有難く拝み数えながら通り越していたが、1日100km進む身としては、1kmおきではその数の減りが遅々として感じられ、逆に鬱陶しいものに思えてきてしまった。
5kmおきぐらいが、気持ちの上で進んだと感じられ、また次の5kmまで頑張ろうというマイルストーンにもなるからちょうどいいのだけど、この短い間隔では、これだけ漕いでもたった1kmかと気持ちにさせられることのほうが多かった。
現地語の数字を読む練習台にしたりもして気を紛らわせていたが、79kmの次が78kmだという現実を突きつけられ、毎度絶望感を味あわされるのだった。

マレー半島最南端から東海岸へと向かう道。アブラヤシのプランテーションがどこまでも景色を変えることなく続いていた。
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