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夏が来る
- 2011/04/28(Thu) -
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2011.4.17 μ1030

三重県宮川を下る。
シーカヤックで川を下るのは初めての体験。カヤックは潮が洗い落とされなんとも気持ちよさそうに川の上に浮かんでいた。
以前好んで川下りをしていたこともあったけど、シーカヤックを始めてからすっかり川遊びからは遠ざかっていた。
視界に人工物がなくなり、鳶が空高く旋回し、緑が水面を囲み、そんな中で気づけば無心でパドルを振り回していた。
水量が少なかったこともあり、緊張を強いる流れの早い瀬もない。
しかし浅い流れにカヤックを降りて歩くくこと度々。降りては歩き、水深が深くなればまた乗ってを何度も繰り返す。

そうこうしているうちに、いろんな思いにや恐れに囚われ、自然に身を置くことから遠ざかっていたけど、この一日があって川面に流されいつものように自然と向き合い楽しんでいる自分を取り戻している自分がいた。

漕げども漕げどもゴールはほど遠く、幾度となく川は蛇行し、ついには20kmほど進んだのではないだろうか。
苦しんだ春が過ぎ、まもなく夏がやってくる。
変わらぬ日本の自然が今ここにあることに感謝した。
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そして街中
- 2011/04/20(Wed) -
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2011.3.25 μ1030

気仙沼の市街地に入る。
港へと向かう街中の道路はがれきが脇へと綺麗に寄せられ、2車線とも車線は通行可能となっていた。
しかし両脇に続く商店街の入口をそのがれきがふさいでいる。がれきの合間を見れば、建物1階部分浸水した店が多いようでえぐられてすっからかんのところが多い。当然どの建物も無人となり、今は住む人も店を開く人もいない。通りには車だけが走っていた。とても寂しく感じる。
くねくねと車で路地も通ってもらったが、どこもかしこも路肩、縁石上はがれきばかりだった。
街を下り次第に海が近くなる。駐車場だろうか、鉄筋の建物の骨組みだけが残る。

果たしてどれだけの海水がこの港から街へと流れこんだのだろう。
まだこの時がれき撤去を行うボランティアは入ってきてはいなかった。
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瓦礫の山を見て想う
- 2011/04/19(Tue) -
P3250377.jpg
2011.3.25 μ1030

再びPCの中のアルバムを見返してみた。主にボランティアの時のものをだ。
あの日からひと月以上が過ぎ、生活や人の気持ち、僕の気持ちも落ち着きつつある。ただやはり目にした光景は脳みそのしわに深く刻まれ、写真を見ることで目にしてきたほぼすべてのことが思い返される。

気仙沼の国道沿い、ある場所はこうした廃棄物処理場のようなところになり、ある場所は焼野原。ある場所は原形を留めて、ある場所は跡かたもなく無に帰してしまっていた。
この有様を一体どう理解すればいいのか、そして写真など撮っていていいのだろうかと悩む自分もいた。
でも知って欲しかった。周りの人には告げているけど、物見遊山でもいいから一度は目にしてほしいと。

今僕が生活において消費して貯めこんでいる所有物など、所詮いつかは失うか手離すモノでしかない。
その中でも残るものは、心の中に築きあげてきたものだけだと思う。
日々の時間の中で何を想い、何を考え行動するし、そこから自分が何を心に得るのか。
そのために何を大事にして生きていくのか、改めて考えさせられた。

経済を停滞させないためにも消費を控えるのはやめようとは言うものの、それには全く同調できない。
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海に学ぶ
- 2011/04/18(Mon) -
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2011.4.16 μ1030

年が明けて一度も海に出ていなかった。寒いのが苦手なのと、そろそろと思っていたところ震災があったため、とても海など穏やかに見ていられる心構えができていなかったからだ。
海を知らぬが故に恐れすぎていた。そう気付かされる。

志摩の御座岬をカヤックで巡る。日本でもトップクラスのガイドのツアーというかプライベートというか何とも曖昧中間的なものだったが、案内をしてくれた。確かにこの日の天候であればうねりも高く、海に出ることは容易ではなかったのだが、ガイドが状況判断をし安全を確保してくれていた。
同じツアーというかプライベートというかの参加者に、GW明けカナダバンクーバー島へと一人でカヤック旅に出るという鉄道会社の運転手の人が来ていた。
とても海を相手に遊ぶ気にもならずにうじうじしていた僕からすれば、この二人は男らしく強さを感じた。
難所を前にバンクバー島に向けての講習が海上で行われている。

放射能だの津波だのといつまでも恐れていては何もできない。こんな世の中で遊び耽っていていいのかと後ろ指差されてることに恐れていても何もできない。好きなこと、やりたいことをできるときにしておかなければ、あっと言う間に月日は流れていく。現にもう4月も半ばを過ぎている。
僕のような海に対するセンチメンタルかつ過剰な畏怖はなく、変わらず海を知ろうと、そして伝えようとする2人の男の後ろ姿があった。

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支援物資と眠る
- 2011/04/09(Sat) -
P3250323.jpg
2011.3.25 μ1030

宮城登米市の廃校となった場所にこうして日本全国から支援物資が届いた。
何人かはテントを張って、何人かはこうして荷物の隙間に寝袋を広げて寝ていた。
ボランティアスタッフとしてここに集まる人達は、普段から山やキャンプをしてきている人達ばかりだったから、まるで苦にはならないのだろう。夜はいびきの大合唱が体育館の中にこだましていた。

疲れているからか、それも気にせず眠りに就くのだけど、毎日のようにそれを打ち崩す余震で目は覚まされる。
床から振動が体全体へとじかに伝わってくる。
これがものすごく体に響く。
されには天上からなのか、どこかでものががしゃがしゃ鳴る音が聞こえてくる。

あぁ、避難所で生活をする人達はこんな状況化で何日も夜を過ごしているのかと思うと痛ましさを感じた。
とはいえ僕らには水も電気もガスもあった。
何日かすれば帰るべき家もある。
善意で手助けに来たといえば聞こえはいいが、僕は自分の気持ちを整理するために来たのではないかと自問自答していた。
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