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焼き鳥親父
- 2011/07/23(Sat) -
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2011.6.27 μ1030

タイ東北部、無人地帯を抜け、次第に民家も増えだし、あとはもうノーンカーイまで安全に走りきれると安心し始めたころだった。
もう少し行けば食堂でもあるだろうと思い漕ぎ続けていたが中々お店がない。朝飯をスキップし、昼も食べれず、いい加減エネルギーが尽きかけてきたころ、ちょうどいい具合にこの親父さんが道端で焼き鳥を焼いていた。
東北地方ではカイ(鳥)・ヤーン(焼く)というらしく、ここではその名称通りの焼き鳥は名物らしい。
まぁ味は日本の焼き鳥とそう大差はない。やせ細ったインドネシアの焼き鳥と比べると、見た目からして肉付きもよく脂が乗っていそうだった。口にするとパリパリ、そしてジューシーでこってりとおいしい。焼きすぎず、生でもなくちょうどいい焼き加減だった。

どでかい洗濯バサミのような竹ばしで挟まれ、一匹まるまる売っている。頼んで半分だけにしてもらったが、100円もしなかったように記憶している。
ふとこうして一日鳥を焼き続ける生き方を想う。
きっと昨日も、そして明日もこうして通りすがり、または乗連客を獲得し、一日朝から晩まで焼き鳥を売っているはず。
何軒も立ち並んでいるのを見ると、競争相手や新興屋台など数々の苦労があったに違いない。それでも客を獲得し、店を存続させてこうして毎日焼き鳥を焼く毎日。
如何にしてここで商売を始めたのか、これまでの苦労、何を想い焼き続けているのか?
会話が成り立たなかったため、勝手に僕は想像してみた。
自分も含め、やれ仕事がつまらんだの、誰それが気に入らないだの、給料少ないなど雇われの身でぶつぶつ文句言いながら働く人と比べてなんと気高いことかと思わずにいられない。
いかさま、ずる賢く稼ごうと思えば、現金収入をもっと得られるだろうけど、親父さんは毎日こうして真面目に鳥を焼いている。

どうしてもそんな親父さんを記憶に留めたくて写真を撮らせてもらった。そんなことを思った旅中の記憶。
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マイペンラーイ
- 2011/07/23(Sat) -
P6230332.jpg
2011.6.23 μ1030

長かった峠を一日かけて登り、翌日待望の下りが待っていた。直線的だった登りとは打って変わって、下り道は日本の峠道のように何度もカーブしていた。
素早く駆け下りてしまうのが惜しくて、気持ちよく風を受けながら飛ばしすぎずゆっくり味わいながら進んでいく。その気持ちよさに酔いしれていると、前方に自転車が見えた。
この先20kmは下り道が約束されているこの坂道で、同じ方向を向いているのに自転車を押していた。

何かトラブルでもあるのかと思い、慌ててブレーキを握り自転車を横付けした。
話を聞いてみる。
「どこか故障でも?」
「マイペンラーイ」(大丈夫という意味)
「工具ならあるけど」
「マイペンラーイ」
これまで散々タイ人には親切を被っている。僕が何かできて、気持ちを返せるのはこのタイミングしかない、と思い工具を見せる。よく見るとブレーキパットがひん曲がり、タイヤの回転を邪魔していた。
試しにレンチでパッドを動かしてみる。
慌てた様子もなく「マイペンラーイ」
ここまでその彼はこの言葉しか発していない。

次の街までまだ30kmは残している。そこまえ歩き通すとでもいうのか。
せっかく登ってきた道を、スピードに乗って下らずして峠を越えるなど僕にはできない。下りがあるからきつい坂も登ることができる。その快感は峠を越えてきた人にしか分からない。

自転車はただの移動手段?
そういえば荷物もただならぬ量で、すべての家財道具をむりくり自転車にくくりつけているようなスタイルだった。
どこへ向かうのか、何のためか結局タイ語で聞けずじまい。
修理もあまり手を出せずに分かれてしまった。

僕はこの後後ろ髪引かれる思いながら一気に20km、坂道をほとんど漕がずに下った。
一日も終わりかけた頃、彼はどこまで歩いて進めたのだろうかと気になった。
きっとあの後も、たくさん援助に「マイペンラーイ」といって遮り、自力で町まで下りていったのだろう。

こうしてこの旅中最初で最後、タイ人の自転車乗りに出会ったのだった。
タイ人の口癖とも言える、マイペンラーイを聞くたびに僕は彼のことを思い出してしまう。

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威厳と優しさに守られて
- 2011/07/22(Fri) -
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2011.6.23 NEX-5

タイ東北部イサーン地方のダーンサイの町でホテルを見つけチェックイン後、ふらふら空荷の自転車で散歩していた時に見つけた寺院。思えばここが一番ピカピカの仏像が祀られ、本堂の壁画といい、その空間といい印象に一番残っている寺院だった気がする。
そうした見た目の印象以上に、ここでの出来事もまた強烈だった。

広い本堂に入ると、奥の方で仏像に向かってお坊さんがポツリと一心に念仏を唱えている姿があった。仏像かと見間違えるほど、その坊さんは身動き一つせず、その後ろ姿は光り輝く仏像に負けず劣らず美しいものがあった。
そっとだるまさんが転んだのような気分で気づかれないように近づきカメラを構える。
あまりにも静かだったために、シャッターを切ると「ガシャ」という電子音が鳴り響いてしまった。
やべ、隠し撮りばれたか?と思う間もなく、動かずにいた坊さんがぎょろっとこちらを振り返った。
「何してんだ?」(と言われたように思う。)
たじろぎながら、「自転車で旅していて、町の寺院を見つけてはお参りしているんです」と答えた。
観光客に振りまく笑顔など持ち合わせていないようで、怖い顔をしてこちらを検分するような眼差し。
見つめられてというか睨まれ続けて僕は、「ご存知のように僕の国では地震と津波で多くの人がなくなって、こうして寺院で仏像に出会うたびに、亡くなった人のご冥福をお祈りしていまして、、」となんとか身振り手振りで伝えるしかなかった。
すると何も言わずにまた仏像に向かい、ぶつぶつと何やら唱え始めた。立ち去っていいのかどうなのか分からないまま、一緒に彼の動作の通りに片目で様子を窺いながら居座ることにした。
5分経過。
まだ坊さんは祈り続けている。何度も手を合わせては頭を下げ、一歩二歩遅れて僕も頭を下げる。煩悩を捨てるどころか、僕の全神経はすべて坊さんの一挙手一投足に注がれていた。
10分経過。さすがに立ち去ろうと思ったが、声をかけられる雰囲気にない。
15分経過。終盤にさしかかったのかこれまでとは動きが変わってきた。

仏像へ唱える言葉が止んだあと、始めて彼は僕に笑みを見せてくれた。
おそらく「代わりに私が念仏を唱えておいたから」(と言ったように思えた。)
彼はそう僕に告げたあと、ふと立ちあがり、颯爽と本堂を歩いて出て行ってしまったのだった。

ここでの威厳と優しさに満ちた、不思議な空間での出来事が今でも心に焼き付いている。
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偉大なドラえもん
- 2011/07/22(Fri) -
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2011.6.22 NEX-5

この日も走り始めてはや90km。全線ほぼ登りでかなりへとへとにくたびれていた。
進めば進むほどに民家は途絶えていき、買い食いできるお店もなくなっていた。そのため休憩をとるタイミングが計れず、だらだらと自転車を漕ぎ続けていた。

Khek Noiという名の山岳民族が暮らしている集落近くまで来ていたことは分かっていた。何かお店があるかもしれないと期待していたところ、ようやくお土産やらしきものが立ち並んでいるところを見つけた一体誰がこんな場所で買い物する人などいるのだろうか、と思えるような静かで何もない場所だった。おそらくその日の客は僕だけだったのだろう。間違いない。現に一時間ほど子供相手に話していたけど、誰ひとり訪れる人はいなかった。
一軒だけ残してすべての店がクローズしている。その空いていたお店を覗くと、民族衣装や独特の織物が売っていたが、冷たい飲み物は手に入らなかった。

やれやれと自転車を止め、見晴らしのいい東屋を見つけ休んでいると、そのお店の親子が話しかけてきた。
見ればドラえもんのTシャツ。子供は怖くて泣きそうな表情をしながら、どうやら僕に近づきたいようだった。
怖いものみたさなのだろう。
僕も子供に好かれようと、唯一の共通話題だと思われたドラえもんをエサに、ヘタクソなタイ語で話かけてみた。しかしこの国の言語発音は「ドラえもん」というのですら声調という複雑な上げ下げ抑揚があって、まるで彼には通じていないようだった。

タイでのドラえもん普及度は高い。
車のナンバープレートのはドラえもん。
掛け時計もドラえもん。
テレビをつけてもドラえもんと日本は相当外貨を稼いでいるのではないだろうか。

そう言えばどこかの屋台でおばちゃんと話していたとき、覚えていたのに思い出せないタイ語にもじもじ言葉を返せずにいたら、「あんたそういやのび太みたいだね」と言われた。
ドラえもんは偉大だけど、のび太と言われて僕は深く傷ついたのだった。


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過密都市
- 2011/07/18(Mon) -
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2011.6.14 NEX-5

金曜夜10時。バンコク中心部の道路はとてつもなく渋滞していた。
思えば昼からこんな状態だった。この日この通りを走り、バンコク市内へとたどり着いたのだった。

流れているといも言い難く、5分見つめている間車は3台分ぐらい詰めた程度しか動いていなかった。明らかに歩いた方が早い。
それでも意外なことにクラクションが聞こえてこない。みなおとなしく車内で辛抱しているのだろうか。
まだジャカルタの中心部のほうが道は動いていた気がする。クラクションはとめどなく鳴らしていたけど。

道路だけでなく、歩道も人が埋め尽くし、歩道橋も人が埋め尽くし、レストランはどこも満席。川には船が無数に行き来していて、5m歩けばATMが見つかるほど多い。どこもかしこも何もかも過密状態なバンコクだった。

バンコク市内に住む友人は、「昔と違って隣人との付き合いも希薄になった」とまるで日本人のようなことを言っていた。都市部はどこも一緒ということか。
果たしてこのまま都市化が進んでいくのだろうか?その先のバンコクはどう変貌していくのだろう。

街中でどしゃぶりの雨の後乾き切らないアスファルトの上を歩くと、ぬるっとしたしずくがビーサンで跳ね上がり肌にまとわり付いた。
その感覚は過密さとともにバンコクで東南アジアを感じさせてくれる証だった。

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