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猪突猛進型、ベトナムの子供達
- 2012/02/26(Sun) -
DSC05274.jpg
2012.1.7
国境を越えてから人に会わない時間が長く続いた。
山を降りたところでようやく集落らしきところがポツポツ見られたが、家の中に引っ込んでいたのか、人影も人気もない。
まだ役人しかベトナム人には遭遇しておらず、どうも暗いイメージを抱いていた。

次第に集落は町となり、道を歩く人の姿も見かけるようになった。
重たい色した服を来た人が多く、あの元気な「サバイディ」が聞こえてくることはなくなった。すれ違う人もどこかよそよそしく、あまりこちらに興味を示す様子もない。
うんうん、ベトナムは何だか落ち着き払って味気がないなと思っていたところだった。

これまでアジア全域で、どこもかしこも好奇心丸出しの子供達ばかりと遭遇してきただけに少し寂いい。
であれば学校ならどうなんだと思い、ちらほら見かけた子供達の集まりが見えたため、自転車を止めて広場らしき場所を覗こうと階段を上った。
学校ではなく、墓地だった。そこを清掃していた子供達。
僕らが階段を登りきって辺りを見渡したところで、ぶわーっと訳もなく中学生くらいの子供達が集まってきた。
掃除の時間なのか先生が彼らを制止しようとどなり散らしてブチ切れている。
この収集つかない状況の中、お構いなしの精神の彼らに詰め寄られた。
ここまで一気ににじり寄られるとちょっと行き過ぎ怖いと思ったぐらい。
先生達にも申し訳ない。
どうやらこの国の子供達は猪突猛進型のようだ。大人だろうが、先生だろうが、怒られようがそんなの関係ねぇ。
申し訳なさそうにしている子供など一人もいなかった。遠慮などということはひとかけらもなく、聞きたいことを聞いて言いたいことを言って、僕らが逃げるように去るとまたぶわーっと彼らも戻って行ったのだった。
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いざ!国境へ
- 2012/02/17(Fri) -
RIMG0347.jpg
2012.1.7 RicohPX
これまで国境越えには散々あれやこれやで苦しめられてきたけれど、ここでの苦しみは坂だけだった。

正午近くになってこの国境ゲートに着いた。
だが、まるで人の気配がない。建物の中を除いても人っ子一人おらず、対応してくれる人がいない。
この日の目的地ディエンビエンフーまでまだ何キロ残しているか分からず、また登り下りを繰り返すことも考えられたため、さっさとボーダーを越えたかったのだけど、どうやら業務時間外で、昼寝か昼飯で出て行った管理官達が戻ってくるのを待つしかなさそうだった。
ポツリと一軒峠茶屋のようなレストランがあった。勝手にこのゲートの先を越えてその店に入っていいのかどうかと躊躇われたけれど、制止する人もいないから、まあ問題ないのだろう。
こんな僻地だけどテレビが放映されていた。
ラオスとベトナムのボーダーのまさにそのライン上で、まさかタイのテレビ番組を観せられるとは思いもしなかった。ラオスであまり通用しなかった僕のタイ語が、テレビから流れてきているのを聞いているだけで何だか懐かしい気持ちになる。

小一時間、食事して時間を潰し、ようやく建物に人影が見えたので戻る。
ラオスはこうしてあっけなく出国。僕の地図には、個人旅行者はここを通過することはできないかも、と書いてあったから不安だったが、何にも問いただされることはなかった。

ここからベトナム入国ゲートに向けて再び走りだす。
あれ?おかしい。走れども走れどもベトナム側の入国スタンプを押してくれるはずの入国管理所がない。道はわずかに下り始めたため、うっかり通りすぎて後でもどろうなんてことは死んでもしたくない。
見逃すって言ったってどこにも建物だどなかったはずだ。
2km走りそれっぽい建物が見えてきた。20人ばかりがどんちゃん騒ぎをしていて、ベトナムは国境ゲートで飲み会をするのか?と驚いていたら、中の人がここは入れないとジェスチャーをしていた。
仕方なしにまた先へと進む、下る。
雲を抜け空は明るさを取り戻してきた。でもゲートが見つからない。
5kmほど走ると、ベトナムの距離ポスト(次の街まで何キロと書かれた)があった。
間違いない、もうここはベトナムなのだ。でも僕らのパスポートにはまだスタンプがない。無国籍地帯を走っているのだ。看板はアルファベット風のベトナム語に表示が変わった。タイからラオスまで苦しめられ興味を持ち、そして学んで読めるようになったあのにょろ文字ともこれでお別れだ。

さらにだいぶ下った先にゲートがあった。ハノイで「なんでお前のパスポートに入国スタンプがないのだ」と問われた時に返す英語を考え始めた矢先のことだった。

ゲートはここも静まりかえっている。始めて出会うベトナムのベトナム人は少し虚勢を張った制服の役人達だった。「サバイデイ-!ニコっ」みたいな挨拶はもうこの国では味わえないようだ。
彼らの一人が突然僕のカメラを奪い取って目の前で写真を撮った。すぐに返してくれはしたが、これまでの国とはどうも勝手が違うようだ。

みさらったのパスポートを時間をかけて念入りに、ペラペラめくってみては眺めている入国管理官殿。彼女のパスポートは更新したばかりでラオス以外のスタンプは押されていない。
どこも見るべきところはないのだが、そのスローな確認の意図がなぜだかわからない。賄賂か?とも思ったが何も求められることなく返された。
ここ数年のサイクリングでスタンプだらけとなった僕のパスポートは、すぐさま入国スタンプを押されて返してくれた。なんだか分からないことだらけのベトナムの始まりだった。

ここから一気に下り、少しだけ登り、また長々と下りが続いた。
人気のない国境、制服を来た役人達、どんより雲でベトナムのファーストインパクトは「暗い」というものだったが、街へと降りるにつれ、にこやかな人達とすれ違い始め、アジアらしい顔を見せ始めた。

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みんなの川
- 2012/02/15(Wed) -
DSC05254.jpg
2012.1.6 RicohPX

この日より5日ほど前の話。運よく川沿いの宿を見つけ、サイクリングで火照った体を冷やそうと僕は川へ一目散に飛び込んだ。これまでマレーシアでもタイでもどこも濁った川しか見ていなかったのだけど、雨が少ない時期だったためか川はとても澄んでいて、泳いでいてとても気持ちよかった。
上流ともなるとやはり水質がちがうなぁ、と喜んでいたのだけど、そこから川を自転車と船で遡るにつれ、多くの人や水牛、時に豚が川で水浴びしたり、川岸をてくてく散歩したりしているのを見て、泳ぐのやめておけばよかったかも、と後悔した。
大量の洗濯ものの中にはきっとパンツも洗っているだろうし、家に風呂など備えていない人は川を頼りに毎日水浴びしているのだろう。

まぁ水浴び程度ならと思っていたが、そのはるか上流では車が川を横切り、バイクをじゃぶじゃぶ水につけて洗っている人がいた。そのすぐそばでは普通に水浴びしている人もいる。

この時期特有の増水なのか、それとも橋は洪水で流れ去ったのか、ベトナムへと続く道はこの一本しかない幹線路なのに、道は川で寸断されていた。
ここら辺りの人はどうやらほとんど川を頼りに暮らしているようだ。
近くに歩いて渡ることのできる頼りなきつり橋が架けてあって、僕らは濡れることもなく渡ることはできた。

「うーむ。。。」
まぁバイク数百台が一斉にじゃばじゃば泡だて洗われているわけでもない。人口も少ないし、わざわざリスクを冒して川を横切る高価な車もそう多くはないだろう。
誰のものでもないしみんなが自由に川を共有しているのだけど、その汚す元となっているのは我らが日本の車であり、日本製の小奇麗なバイクでもある。
油も汚れも何もかも下流へと流されていくのだろう。環境保全云々を彼らに諭すわけにもいかず、僕は笑って眺めることしかできなかった。
このはるか下流では幾千もの人達が髪を洗い、汗を流しているのを僕は見てきた。
川魚を食べて、子供達は盛んに川で泳いで遊び、道路もないため生活のための水を川に頼った集落も見てきた。

日本でこんなことすればたちまち通報でもされるに違いない。河原で裸になって石鹸を泡だてながら水浴びしても然り。
まぁ東京近郊の川はどこもかしこもコンクリで囲まれてバイクを河原に持ち込めるところの方が珍しいか。
「近づかないこと」「遊ばないこと」などと川から僕らの生活は切り離されて行く。

ここはみんなの川です、だから「水浴びしないこと」「バイクを洗わないこと」「無理に川を車で横断しないこと」など掲げようものなら、彼らの生活は成り立たなくなるだろう。
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ラオスでもう一泊
- 2012/02/14(Tue) -
RIMG0312.jpg
2012.1.6 RicohPX

この日はベトナムまでまっしぐら、国境越えてディエンビエンフーという街を目指して出発。80kmほどの道のりのはずだった。
朝からスリップして横転、奇跡的に出血は免れたもののなんだか縁起悪さを感じる。
10kmほど平らな川沿いの道を進んでいたが、川から離れるとやがて本格的な登り道が始まった。
到着地まで何回峠を越えなければならないのか読めなかったため、不安な気持ちのまま走っていた。
その気持ちに加え、雲はどんよりと重く、案の定高度を上げていくにつれ寒さは増し、霧の中へと突入していくと益々不安は募る。スピードは出ないし視界は悪い。やがて方向感覚も失い、ただただ坂の終わりを願いながら上を目指すサイクリングとなった。
長い時間登り続けていたようだったが、一体どれだけ距離を縮められたのかがまるで分からない。

雲中サイクリストカップルにばったり出くわした。彼らの地図と彼らが走ってきた距離を訊ねると、当初の予定よりこの日の目的地までは30kmほど多く走らなければならないということが判明した。
ただベトナム国境のはるか手前に宿があるという情報も得ることができた。今にして思えば彼らの情報が本当にありがたかったと思う。彼らと出会ったその時その場所その時間からではもう、僕らがディエンビエンフーまでは日のある内に辿り着くのは難しいだろうと教えてくれた。

峠を越えると当然下りが始まり、そして雲から抜け出す。舗装されていない道の先に町らしき盆地が見えた。ほっと胸をなでおろし安心する瞬間の写真。
僕らが目指すのはその先の先のベトナム。

一日日程的にも余裕があったため、ラオス最後の夜を名も知れぬ集落ですごした。観光地でもない町。
こうしたところがなんともたまらなく僕は好きだし、相棒みさらったも気に入っていた。
もうこれで猶予はなくなった。ただ何ともラオスらしい普通の生活が垣間見える町で偶然宿があって過ごせたことが僕らにとってはとてもラッキーなことだった。
今でも心に残る町。グーグルマップで探してもこの町の表記がどうしても見つけられない。
これまで信用して使ってきたネイルスマップという地図の距離表示は大きく違い、そしてこの町は地図に記されていなかった。

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