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最後の謝謝
- 2012/06/26(Tue) -

2012.6.25 NEX-5
Wuchi - Taoyuan 140km

最後の1日。
今日も風は元気よく南から吹き、力強く味方してくれている。距離は130kmから140kmか。大陸のように一本道を真っ直ぐというわけではないから、総距離が測りにくい。
16時に台北の20kmほど手前にある空港着というゴール設定。空港そばに住む友人と待ち合わせをしていた。台北の20kmほど手前にある。
朝7時半に漕ぎ始めたけれど時間的余裕はほとんどなかった。睡眠がきっちり取れず持久力は明らかに落ちている。33℃という電光掲示をみて余計にくらくらする中、風が背中を押してくれているのが唯一の救いだ。
台湾西海岸。平行して何本もの国道が北へ伸びている。交通量が少ないのと、自転車用の道が整備されているからとても走りやすかった。高速道路のような道でも側道があった。

約束の時間30分遅れで到着した。空港西側から自転車は立ち入り禁止となっていた。
Googleマップに示された歩行者が空港に向かう際のルートを辿ることにする。反時計回りに1/4周したところから侵入できるようだ。
到着。建物などなく目の前に滑走路があり、鉄条網で道は閉ざされている。
さらに敷地の周りを1/4周。期待は出来ないが入口らしきところがある。通行禁止でも突入するつもりだった。
敷地内に入ってからいくつかの通行禁止マークをみたけど見なかったことにして、翌日出発のターミナル1へ。ここが僕のゴールだった。
しばらくして待たせてた友人とも連絡が取れて、一ヶ月ぶりの再会を果たした。

彼女の友人達が多く集まって僕を色々連れ出してくれた。親切だし優しさ極まりない。
きっと彼らは、僕が自転車という特殊手段で旅していたからすんなり受け入れてくれたのだろうと思う。
最後の夜に歓迎してくれる温かい人達に囲まれ、ハノイからの旅は幕を閉じたのだった。
この一ヶ月たくさんの謝謝を伝えてきたけど、最後の、そして大きな謝謝を僕は伝えなければならない出来事が待っていたのだった。
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お祭り騒ぎ
- 2012/06/25(Mon) -

2012.6.24 NEX-5
Shinying - Wuchi 130km

タイムリミットはあと2日。台北まで国道1号線を真っ直ぐ北に向かえば300kmというサインポストが出ていた。
昨日も真っ直ぐ北を目指せばいいのに山側に入り込んで、再度平地に戻ってくるという馬鹿げたルートを取り、無駄な距離と体力を費やしていた。
だから今日こそは寄り道せずまっしぐら、と思って出発したのに、フラフラと気の向くまままた寄り道してしまった。
日曜日だからなのか、寄るお寺はどこもかしこも参拝客に溢れていた。
しきたりはよく分からないけど、跪いてというタイ式ではなく、立ちながら軽く手を合わせてと日本式。中国ともどこか違う。
そして、沿道はお祭り騒ぎで賑やかだった。神輿のようなものを取り囲む、背丈3m程の偉丈夫と馬の顏を持つこれまた巨人、馬か、が練り歩き、花火に爆竹が鳴り止まない。この爆竹さえなければ日本のお祭りと見た目には変わらない。
お寺2ヶ所、セブンイレブン3店舗、餃子昼夜2回、「50嵐」という嘘みたいな屋号のテイクアウト茶屋でミルクティ休憩を2回。生活スタイルが一変してしまった。
便利極まりない。サイクリング精神修行の要素は何処かに霧散した。もう最後は一日楽しんで帰る。
と思いきや、明日のラストランは友人との待ち合わせリミットがあった。距離的にも侮れない。
このところ風が南から吹いている。追い風に乗れれば。
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台湾の親切
- 2012/06/23(Sat) -

2012.6.23 NEX-5
Kaohsiung - Shinying

中国・後編はまた帰国後に。
残りあと3日間だけはタイムリーに台湾編を書いていきます。

異質感がなくなってしまった。
まるでもう日本に戻ったかのようだ。
高雄の街中を朝から走り出すが、至るところにセブンイレブンがある。もう、冷蔵庫の電源切られてぬるいジュース買わされる心配などしなくていいのだ。
クラクションの音が減った。わけもなく鳴らされイラっとしなくてもいいのだ。
幹線路でも自転車道がある。割り込んでくるバイクと地味な競り合いをしないでもいいのだ。
標識が分かりやすい。数分おきに地図見て、それでも恐る恐る進む、そんな苦労はしなくていいのだ。
何食べても美味しいし。よく分からない代物を我慢して胃に放り込むことをしなくていいのだ。食べたいものがいつでもどこでも手に入る。
こりゃ楽だなと思う。
そしてもうここではあの途方もない距離を感じることや、支払いに怯えること、驚かされる出来事なんかは少なくなるのだろう。

人は親切極まりない。
今日は道に迷うからと登ってきた峠道をそのまま引き返さなければならないにも関わらず、先導してくれる自転車乗りと出会った。
その他にも自転車をバラしている時にそっと支えてくれる人。
食堂では注文したメニューの呼び出しでサポートしてくれる人。
果物をおまけしてくれる食堂のおばちゃん。
フライトチケットを押さえるまで何度もトライして、さらにはコンビニまで一緒に出向いて支払いのための機械の操作を英語で教えてくれたホテルの女性。
長居は禁物かもしれない。
インドネシアでは散々困っていて、手を差し伸べてくれる親切な人達をありがたく思い感謝したのだけれど、僕はここ台湾でまるで困っていないのだ。それなのにこれだけ親切な人達にばかり会い、日本はいいところだと言われ、日本語を一生懸命使おうとする若者と接していると、殿様気分になってしまいそうだ。
これからは親切にもノー、とい日がくるかもしれない。
あの何が飛び出してくるか分からないような、玉手箱のような日々はもう味わえないのかもしれないと思うと寂しくなった。
あと2日なのだ。
残り300km。飛ばせばぎりぎりで間に合う。

写真は今日一番の親切を僕にくれた楊さん。別れ際飴やらカッパやらたくさん僕に持たせようとしてくれた。
台湾の人達の親切心に甘えずにいよう。ふとそんな気持ちが心によぎった。
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香港脱出劇
- 2012/06/21(Thu) -

2012.6.13 NEX-5
Kowloon - Shenzhen 46km

やっかい極まりない香港ロードだった。
マカオで数日だらだらと休養し、香港へ船で渡り、再び走りだし日。適当に北へ向かえば中国入りできるだろうと甘く考えていた。
北東方面へ向かう僕にとって、中国に戻るには3ヶ所の越境ポイントが候補にあった。
一つは沙頭角というところで、香港から見て北東に位置するため、方向的には一番妥当なポイントでもあった。
ただ、なにやら国境周辺は立ち入り不可能な場所で、厳重な取り締まり地域になっているらしく、中国へのノービザかつ自転車入境希望者としてはあまりそんな物騒で厳戒態勢が敷かれているようなところには積極的に乗り込んで行きたくはなかった。
となると残されるのは2ヶ所。文錦渡ゲートと羅湖ゲート。
文錦渡ゲートはガイドブックに人の出入り禁止と書いてあった。
残るは羅湖ゲートということになる。文錦渡ゲートの手前から羅湖ゲートに向かう細い道を地図上で見つけ、そこを目指して進んだ。

香港は管理社会だった。
中国へと向かうにはいくつかルートがあったのだけど、あまり遠回りをしたくなかった。
選んだ道は最短路。そこそこ高い山で隔てられているため、最短路はトンネルを抜けていく。
当然というか、トンネルの手前には自転車通行禁止の看板が出ていた。ここは中国と言い聞かせ、構わず突入。
1キロほど路肩のない道を緊張しながら走る。
抜けた、と安心した出口で待ちぶせしている人がいた。警察ではないようだったが、
「パスポートを見せてくれ」と言ってくる。道路公団の人のようだった。
「警察には連絡したくないから、どうかその細いわき道を降りて町まで出てくれ」と言う。
聞けば自転車で越境可能な道などないから、次の町で電車に乗るかしたほうがいいと諭される。
脇道も水道関連の施設の管理地で、ゲートは閉まっていた。
八方塞りで行き場を失っていたところ、施設の人が特別にとゲートを開けてくれた。
そして町まで降りると自転車道が整備されていた。越境ポイントまで整備されていれば問題なかったのだけど、そのサイクリングロードは僕にとっては非常に非情で中途半端な場所までで途切れていた。

文渡錦ゲートまであと5kmほど。手前から道を折れて羅湖へ思って進んでいたのだけど、検問所があった。
「これ以上先は行けない」警察にやんわり追い返された。
彼らも「電車にでも乗らなきゃ中国サイドへは行けない」という。
こうなると俄然、自力で行ってやるという気持ちになる。
IPODのグーグルマップを何度も眺めながら、来た道を戻り、羅湖ゲートに近いとこまで道はないかと探る。
川沿いに道があり進んだが、途中からはこれまた管理地で、立ち入り禁止と書いてあるらしき看板が立っていた。
管理社会万歳だ。
構わず侵入する。川の右岸(写真だと左側)に道はあったけれど、越境ゲートは川向こうだった。線路は見えるが道はない。グーグルマップにのっている対岸に渡るための最後の橋を過ぎても諦めきれず、そのまま不法侵入を続けるしかない。
水道管理会社らしき車が来るけど、何も問われなかった。
中国サイドの出入国管理所(写真の茶色の建物)が見えた。
目と鼻の先にあるにのに越えられないのかと半ば諦めかけていたところ、地図にはない橋が川に架けられていた。
歩道橋のような橋だけれど行けるかもしれない。

誰にも見つからないようにこっそり橋を渡り、香港サイドの駅に入り、大量の人の流れに何食わぬ顔で合流し出国審査の列に並んだ。
胸をなで下ろす。
そして再度のノービザ入国。問題なく通れた。
この時点ですでに午後3時を過ぎていた。しかも土砂降りの雨。距離は短いのになんだかくたびれてしまった。

自転車で越境しようという人がこのブログを見るのかは分からないけれど、僕が通ったのは羅湖ゲートというところで、なかなかにドキドキハラハラを味わえるポイントだった。
早くに諦めて電車で越えていたら楽だったのだろうけど、深く記憶にとどめることはできなかっただろう。

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取り戻した夢叶って
- 2012/06/21(Thu) -

2012.6.10 NEX-5
Kaiping - Macau 130km

15年も前の事。バリ島からマカオ、そして香港まで自転車で走り抜こうと決めたのだけど、あっさり諦め日本へ帰ったということがずっと心残りだった。
オーストラリアをあちこち自転車で走り回り、気力はもう尽きていたということもあった。
ちょうどそのころ、スマトラで大規模な森林火災がおきてしまい、とても走れないのではないかと言い逃れを自分にしてしまったことがあった。
オーストラリアからバリに着き、あまりの文化の違いに戸惑い、自転車以上に日常が大変で、チャレンジする気力をそがれてしまったということがあった。
そのとき付き合いのあった女性に、もう一年も海外で離れていたんだから早く帰ってきて欲しいと言われ、帰国して会ってみたところ、結局は別れ話を切り出されただけ、という悲しい結末もあった。
さておき、いろんな理由を並べてみてたものの、結局は諦め自分に負けて決めた事をやりもせずに日本に逃げ帰ったのだった。
この事が、抜けないささくれのようにずっと心残りだった。

中国からマカオへ越境するゲートに着いたとき、やっとこれで解放されたという気持ちだった。
バリから何日、そして何キロ走って来たのかはまだ計算してはいないけれど、諦めずにやり通せたことは自分にとって大きな財産となるだろう。いろんな人たちの親切に支えられ、そんな人たちに楽しませてもらった道のりだった。
15年前はマカオから香港に渡って、船で日本に帰って終わりという計画だったのだけど、今は日本にカヤックで渡りたいという新たな目標ができてしまった。
だから僕はもう少し夢をストレッチし、もう少しだけ楽しみながら苦しみつつもチャレンジを続ける。

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