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英語コンプレックス
- 2012/07/31(Tue) -
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2012.6.25 NEX-5

台湾最後の日は、知り合った人達が僕をいろんな場所へと連れ出してくれた。
二組のカップルで彼氏は2人とも警察官。うち一人は日本語を勉強していてかなり話せる。
彼女達は2人とも空港職員なだけに英語が得意だった。
当然会話は英語なのだけど、彼氏の一人はあまり英語が得意そうではなく、話には積極的に関わってこなかった。それを責める彼女の英語は一級品で、
「なんで英語で話さないの~、高校まででたくさん習ったでしょ~」とこれまた英語で責めるような、からかうような口調で彼氏をいじり倒している。
かつて同じような仕打ちにあったことがある僕としては、断然その彼氏の味方。
しゃべれる人達の前でへたっぴな自分の英語を晒すのが嫌なのだ。それが自分の身近な人だとなおさらである。
「女性というのはそこんとこわかってないんだなぁ、」と彼女に伝えたかったが、そう英語で伝える表現を悲しくも僕は持ち合わせていなかった。

それはさておき、台湾から帰り、猛烈な英語勉強を始め早一ヶ月が過ぎた。
今度こそ今度こそ今度こそと、もう何度目の宣言だかわからないけれど、それでもこうして一ヶ月英語の勉強をし続けたのは人生初めてではないか。
コンプレックス克服の意欲だけで続けている。伝わらなくともためらわず、考えすべてをはき出せることを目標に今更ながら努力を始めた。
9月のTOEICも初めてだけど受講を申し込んだ。こうしてブログにでも宣言するのは、逃げ道を閉ざすためでもある。
模擬テストをいくつも重ね、コンスタントに700点はクリア。では9月の目標を800点に、となるとそんなに甘くはないらしく、それよりもなによりも、話すという実力ではまるで700点らしい英語力を持ち合わせているとも思えない。
まあこれも自転車やカヤックと同じ、使う部分を体から脳みそに変えて、日々距離を伸ばすようにストレッチしながら覚えて行けばいいやと開き直ってから、自然と集中できる時間が増えてきた。
9月に800点。目標は高ければ高い方がいい。他にもやるべきことがあって一番には費やせない目標だけど、とにかくやる。
一番の敵、それはお酒。ビールを飲んだだけで、記憶するための脳は50%ぐらいスペックダウンするということは何となく分かっている。これもいっそ9月までやめてしまうおうか。
夏のビールは魔物だ。

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旅する虫歯、その2
- 2012/07/23(Mon) -
写真なしの記事です。自分のガイコツ写真でもと思ったけどあまりにもグロテスクなのでやめました。

出張仕事から帰り翌日、友人宅で自分の体脂肪率が8%台だと喜んでたのも束の間。前述の歯が落ちたため評判のいい近くの歯医者に行き診断を受けに行った。
「奥歯は2本とも抜歯してインプラント、もしくは入れ歯ですね。インプラントもこの状態だと可能性は低いです」
との結果。
しばらく自分が入れ歯にしたときのことを思い憂鬱になったが、これまでの自分はこの歯を犠牲にしてでも楽しく、やりたいことを続けてきたのだと納得しようとしたけど、なかなか心はそう切り替わらなかった。
インプラントを引き受けてくれそうなところを検索していたのだけど、今日たまたま抜かない治療を行っている歯科医さんのサイトを見つけた。

藁にもすがる思いでさっそくセカンドオピニオンを受ける。
「2本のうち一本はなんとか残せるだろう、いや残したい」と医師が言う。
さらには歯だけの問題ではなく、蓄膿、顎なんとか炎、などなど様々な病気をいつ併発させても、またはいくつか症状が出始めているということだった。確かに体が重くなり、倦怠感はあるし、とか原因はここにありなのかと考える。
明らかにこれまでの医師とは違うようだった。残したいと強く思い、それに対しチャレンジしたいと言うのだ。
そんな歯科医がいるとは思わなかった。
自分がこれこれこういうことをしてきて、ということを話すとなおさら共感してくれて、本気で抜かずに治療する方法を考えてくれるようだった。
驚きでもあるし、その熱意に僕も心動かされた。
自分たちの仕事に対する誇り、情熱を感じた瞬間。この人たちなら任せられる、高い支払いでもいいと思わせてくれる。

体質的に暑い気候下では急に膿が暴れだすという。
確かに毎度アジアにいく度におかしかった。
カヤック、自転車などスポーツ中くいしばる瞬間は奥歯に200kgもの力が加わるとのことだった。

できないと判断するのは簡単だけど、なんとかやってみたい、それを顧客に伝える。
少なくとも僕はこの姿勢に強くひかれたし、職業人として信頼に値する言動だった。
今自分がこうした姿勢を示せるだろうか。

なにはともあれ、絶望感から希望の灯をともしてくれた医師に出会えたことは、自身の歯の救済ということだけでなく、仕事観やプロ意識など感銘し考えさせられること多き診察と話合いだった。
これからのカヤック横断を考えると、今直さずしては夢は実現しない。
この治療も残りの旅する上では背負わざるを得ぬことなのだ。
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旅する虫歯
- 2012/07/19(Thu) -
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どうでもいい話、かつ汚い銀歯で失礼します。
先月旅を始めてすぐの頃から、ずきずきと痛みとともに歯茎が膨らんでいた奥歯の連結詰め物部分が突然すっぽりと抜け落ちてしまった。
抜歯を逃げてごまかすこと数年。いよいよ覚悟の瞬間が訪れた。

思えばこの奥歯との格闘は10年以上になる。海外に長期で出かけるたびに何かとざわざわ騒ぎだす部分でもあった。
始まりはオーストラリアの時。
数日間水も食料も無補給の道を知り合った自転車乗りと走っている時だった。
まだ神経も通っていたために激痛が常に襲い、とてもサイクリングを楽しめるどころではなかった。
永遠と景色の変わらぬ荒野を走っていた時だっただけに、一緒に走っていた友人に「歯が痛ぇ、歯がぁ、、」とずっと嘆いていた僕は、歯痛をたてに弱音はいているやつと思われていたのだろう。
今でもあの場所で友人以外いない無人地帯でのたうち回っていた自分の姿をはっきりと思い出せる。
以来、直しても直しても虫歯は進行し、神経を取っても被せてもトラブルはつきなかった。それが主に旅中つきまとうことになる。
基本的にここ以外丈夫な歯なのだけど、こうして痛いまま放置したり、こまめに治療しなかった結果の蓄積なのだ。

3年前のインドネシアから、この奥歯は走り始めるとストレスなのか環境変化なのかわからないけど、痛みだしたり浮いている感があって、サイクリング中にこの詰め物が取れでもしたらすべてが台無しになるようでイヤだなぁと思っていた。
隙っ歯じゃ奥歯だけに力もはいらないし、食事にも困る。次第に歯茎が腫れだす症状は繰り返し襲ってきてはいたけど、今回中国で一時痛みはピークになった。
痛みの原因はおそらく歯茎の中での根崩れで、歯医者に見せれば間違いなく抜歯を宣告されるに違いない。
そうなればインプラントか、入れ歯か他の治療になるのかなんなのか。。。想像したくもなかった。

今落ちてしまったためにもうそこから逃れることはできないと覚悟した。
僕にとっては痛みだすたびに、過去の痛みを伴った旅の瞬間を思い出す虫歯でもある。
次のチャレンジに向け、長く苦しめられた奥歯の歴史についにさよならの時が来た。
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国境を越えて感じる変化
- 2012/07/15(Sun) -
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2012.6.19 NEX-5

今回のハノイ‐台北間でのサイクリング行程中の記事はすべて書き終えました。
すでに記した台湾でのサイクリングが始まる前の金門島とその他いくつかの写真紹介していきます。
写真は厦門島からその金門島への船に渡るときのターミナル内。

知らずに金門へ簡単に渡れると思って、この日厦門のフェリーターミナルに来たのだけど、カウンターでは
「次の便は欠航です」と言われた。
「台風が近づいてきているから、おそらくその後も船が出せるかわからない」と、受付の女性はいう。
なぜかその船の受付は写真のようにカウンターが長く、取扱いの会社が違うだけで一つの船に対して数社が販売権利を持っているようだった。
にしても多すぎる。そしてすべて対応してくれるのが女性。

英語もあまり通じずに困っていると、別のカウンターから人を連れてきてくれた。なんと日本語を話してくれる方だった。久々の日本語での会話。
「一便待ってみてもし再出航し始めるようなら知らせるから」と僕のパスポートを持ってその女性は裏へと引っ込んでいった。
まつこと2時間くらいだったか。金門島への船は再び運航を始めたために中国からの出国を許されたのだった。

台湾‐中国間といえば国際問題を抱えているだけに難しそうだなと思っていたが、それも今は昔の話でいたってスムーズだった。これならカヤックで2国間渡ることも許可下りたかもしれないと思ったが、それも来てみて初めてわかったことだ。
金門へは20kmほどで1時間ほどの航海。フェリ-に乗りながらカヤックで渡ってる気分で海を眺める。

金門島に無事こうしてついたものの、知らずに接近しつつあった台風の影響で3日間足止めになった。
宿でテレビをつければ「超巨大暴雨嵐襲洪水」みたいなテロップがどのチャンネルでも放送され、自然動かないほうがいいのだな、と結論づけた。
しかし、部屋を出て島を散歩すれば、そんな危機感はどこ吹く風でのどかな沖縄の離島のようなのどかな時間が流れていた。
そうまるで沖縄、というのがここでの強き印象だった。

そういえば鳴り響いていた車・バイクのクラクションの音が島に来て消えた。わずか20km隔てた海を越えただけで文化も気質も変わるものなのか。
確かに中国本土とは異なり様々な異質感は去り、次第に自分の国へと帰りつつあるのだと実感しつつあった。
目に見えない国境線が、それぞに異なるその土地その人に性質を形作っていくその不思議を感じた移動だった。
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最後の一難、通せんぼ
- 2012/07/13(Fri) -
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2012.6.18 NEX-5
Yanxiao - Amoy 170km

中国での最終ラン。半年後、またここには戻ってくる予定。
最後の一日はある程度の距離は覚悟していたのだけど遠かった。朝8時から走り始めて、宿が見つからなかったこともありチェックインは夜8時を過ぎていた。
きついとは思ったけど途中でペダル漕ぐのをやめるわけにもいかない。目指す場所へ何としてでも着かなきゃという一心で厦門島を目指した。

1日のゴール間近まで来て高台に建つ観音様のような石像を見つけてしまったため寄り道した。その時ですでに午後5時で、疲労はピークだったのにも関わらず何百段もある階段を15分ほどかけて登る。さすがに景色は抜群で、これから橋を渡って入る厦門島らしき場所が見渡せていた。
敷地内のお寺を見て回り、余裕の気持ちでラストラン。陽もかげりいい頃合いで橋を渡れそうだった。

ゴール気分で島に渡る橋にさしかかったところ公安に呼び止められた。ちょっと手前に自転車・バイク侵入禁止の看板が出ていたのは知っている。
お決まりのパスポートチェック、中国語能力チェックののち「申し訳ないが通すわけには行かない」とその警官は英語そう僕に告げた。
地図を見る限り、他の橋へ回るにはもう時間も遅すぎた。ふとまあ仕方ないか、的なそぶりをみせたから粘ってねだってみたけど最後は決意したように「ここは通せない」と言われた。
厦門に最短距離で渡ることができた一つ目の橋は公安さんの通せんぼ他の橋へ回らざるを得なかったのだった。
しかし他の橋も自転車で渡れるという保証はどこにもない。

厦門島を隔てる海峡に沿って北へ30分走ると、橋があったが再び自転車禁止の看板。公安はいない。
これが渡れないとなるとさらに遠回りを強いられる。しかもそこは厦門への橋でもなんでもない。
勢いで橋へ侵入。禁止されているスクーターもガンガン渡っていく。

厦門島へ架かる2つ目の橋が見えた。ここも自転車禁止の看板表示があった。首都高の入り口のような高架でさすがに侵入する気も起きなかった。
諦めるわけにもいかない。すぐそこにある島にスクーターですら渡れないなんてことは考えられない。きっとどこかに橋・道はある。
橋へと向かうことのできないスクーター軍団が向かう方へついていくことにした。
橋ではないけれど、埋めたてた堰堤上についているような道、ここだけ自転車が通行を許されている道を見つけた。その道も中間点を過ぎるとその道もまた自転車禁止の看板表示。再びスクーター軍団の流れについていく。
最後は写真の道を通って厦門島に入ることができたのだった。

だがまだ1日はここで終われず。
島内での宿探しに苦難した。地図もなく適当に自転車を走らせていたらどんどん繁華街の方から外れたほう方へすすんでいたのだった。結果夜8時。厦門で最初に見つけた、決して安くはないホテルにへとへとになりながらチェックインしたのだった。
1日で170km走った記憶は過去に1、2度くらいしかない。
でも今回の中国最後にふさわしい1日にもなった。諦めず妥協せず1日走り切ることを求めて毎日過ごしていたし、その最後の日に一番距離を稼げた。
というより道に迷って距離が増えてしまった。

不安トラブル困難ありだからこそ忘れることのできない情景があって、それらは記憶の皺にまた深く残る。
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