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生と死の分岐点へ
- 2012/08/30(Thu) -
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2012.8.29 μ1030

4年前、僕はここで死んでいてもおかしくなかった。
命をかけた冒険での事故とでもいうのならまだ聞こえはいいのだけど、単なる判断上の凡ミス。
安易に選んだ出艇場所で沈して強烈なパワーの波にもまれ、引き潮と上げ潮でもみくちゃにされ、何度もぐるぐるもんどり打って気づけば写真上のテトラポットに、吸い寄せられた体が何度も打ち付けられていたのだった。
水面下で「あっ、死ぬな」と冷静に悟り、人一倍臆病な性格なのに、この時ばかりは意外にも死ぬのは怖くはないものだと思ったことは今でも明確に記憶に残っている。
その「笹川流れ」という現場へ4年ぶりに訪れた。

この日そんなリベンジ的な背景をよく知るメンバー達と一緒にしばらく「笹川流れ」と呼ばれるエリアを漕いでいたのだけど、記憶もあいまいだったため、事故現場にはなかなか到達できなかった。
時間的に出発地点へ引き返す時間となったのだけれど、僕はどうしても探し出したくて、一人残ってさらに漕ぎ進み事故の場所をなんとか見つけ出すことができた。
あの時とはまるで海の状況は異なり、波も穏やかでフラッシュバックしづらかったのだけど、一度死んだ自分を弔うというか、何かを感じ取りたくて、なんとしてもこの機会にこの場所に来て身を置きたかった。
死からは運よく免れた後、再びやり残した夢を貫こうと思い始めアジアを走り始めたこと。それが終わりに近づいたことで少し気持ちの整理もしたかった。
生かされた自分は4年間どう生きたかを自分に問う。
未だ迷い探し続ける日々だけど、ここに誘われ訪れたのはまさに絶好のタイミングとも言えた。

「笹川流れ」は僕にとって分岐点となる場所なのだろう。
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海峡横断その3 新潟県粟島
- 2012/08/30(Thu) -
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2012.8.28 μ1030

島渡りその3、新潟の粟島へ。
僕よりはるかに経験のある3人のカヤッカーをそそのかし、従来の目的地ではない島横断を提案し一緒に渡ってくれることになった。ありがたい。
このツーリング後に予定していた佐渡横断がやんごとなき用事から決行できなくなったために、目の前の粟島には是非とも渡っておきたかった。
ひと月1島、いや今月はもう3島目か。

ぬめっとした静かな海にはほぼ静水で、潮の流れさえ把握していればさほどリスクもない。
日本海側を流れる潮流は主に西から東へと流れていて、ここでもわずかに予定の進路からは進行方向から左へと逸れて進んでいた。それもわずかでGPSをこまめに見ていれば問題はない。
最もハイリスクなのは熱中症だろう。
メンバーの一人は終盤「血管キレそう」と繰り返し叫んでいて、上陸してすぐ、しばらく間ダウンしてしまった。

そんなトラブルはあったけれど、約3時間ほどで島には着いてしまった。
ちょっと前までは20km、3時間など好ましくも思えない距離感だったけれど、今や物足りなさすら感じる。
前回とは逆の左腕に違和感はあったけれど、トレーニングとしてはやや弱かったため、いっそのこと一人で往復してしまおうかとも考えたが、一緒に旅しにきているのに何かあって仲間に迷惑かけても申し訳ないと思い、そこは自制した。
なんせこの海域で僕は4年前、事故を起こして散々人に迷惑をおかけしているのだ。

無料のキャンプ場もあるし、シャワーもトイレも至るところに完備されている。とてもツーリング向けの島だと感じた。
でも島にはわずか3時間程滞在しただけで、僕らはカヤックもフェリーに乗せて村上へと戻った。
まさにトンボ帰りの島旅。
のんびりゆらりゆられて再び再訪したい島だ。
粟島横断
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仮想旅行
- 2012/08/22(Wed) -
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こうして地図を作ってみると終わりが見えてきた。
まだ果てしない道のりのようで、そうでもないような。ここ数年色んなことを犠牲にして一番に情熱捧げてやり続けてきたことだけにちょっと寂しいようなそんな気持ちもある。
日数で言えば80日-100日。2回あと長期で遠征に出られれば完結できるはず。
次はどのような形で1ヶ月滞在を確保できるのかもわからないけど、何としてもこれだけはやりきる。
こうして形にして宣言してしまえばもう後にも引けない。

予定では厦門-北京を自転車で走る。これまた途方もない距離が残っているのだけど、これまでとは違い口の中の膿というか毒を取り除き血液はさらさら、鼻の奥の炎症は消えて健康体になっているはずだから、毎日元気に走り続けられることだろう。
まぁ北朝鮮は避けることはやむを得ない。イギリス人の自転車グループがツアーを決行したという噂を聞いたが、韓国への国境線を自転車で跨げるとはとても思えない。
せめて中国側の北朝鮮ラインまではお近づきになりたいが、どうもそんな悠長なことを言ってる場合でもなく、なんとか来年までには完結させることを考えると北京まで走り切るというのが現実的な線かもしれない。
現在のミャンマーのように、急速に国がOPENにでもなればいいのだけど、あと1年であの国がそんな劇的な変化を見せるとも考えられない。
でも可能な限り道をつないでいきたいという思いは残る。

同期間にソウル―釜山間を自転車走り、翌年になるのだろう、夏前の安定した時期にカヤックに乗り換えて海を跨ぐ。
カヤックでの移動が一体どれだけかかるのか。瀬戸内海はいいとしても太平洋側に出てからが厄介そうだ。
釜山から東京まで、1ヶ月でとても終わるとも思えない。
スキル的にも覚悟的にもまだまだ課題、問題は山積みである。
とはいえ日常やるべきあれやこれやあってこればっかりに時間をかけられない。切り捨てなきゃいけないことに優先順位づけした結果、タイ語学習が1番になったためしばらく限定的にあのニョロニョロ文字とは決別した。

グーグルアース上、イメージトレーニングというか仮想旅行だけはできている。
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憧れる人がいる
- 2012/08/17(Fri) -
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以前旅先のシンガポールでお世話になった友人がいる。
10年近く前のこと、彼とは伊豆半島をシーカヤックでぐるっと回ったことがあった。
彼はカヤックを買いたて、僕はダイビングショップからレンタルしてきたカヤックという布陣で、それでも二人とも冒険心だけは強いだけに、いけいけどんどんで結果とんでもなく荒れた海を一緒に漕いだ記憶がある。
城ヶ崎海岸の辺りだっただろう。今でもあれだけうねりの高い海には未だ遭遇していない。

エベレストにチャレンジして凍傷を患い、もう山は止めるということで、新たにシーカヤックを始めた彼に誘われ、僕はそのとき怯えながら何とかついていくことしかできなかった。
しまいに、彼のパドルはへし折れたにも関わらず、やめようなどと口にはせず、前へと進もうとする闘争心は鬼気迫るものがあった。
なんとか抜け出て西海岸へと出、風もうねりもなく晴天でのんびり富士山に向かって漕いでいる時の彼はなんだかつまらなそうだった。

今なら海で彼と対等に張りあえる自信はあるけれど、突破する力や、限界を設けないというか超えても決してめげない精神的な強さはとても敵わない。
だから憧れの人。
僕が彼に会いに行けるのは、少しストレッチした旅の後や、彼が羨ましがってくれるだろうことをした後になる。
彼は以前、買いたてのシーカヤックで佐渡ケ島を一周を楽々やり遂げて帰って来たことがあった。
技術や知識の不足分は精神力でカバーして乗り越えてしまう。
そしてやるときめたらすぐ行動を起こし、やりとげてしまう。
そこんところがウジウジと動けない自分と違うところだ。

僕が今回佐渡まで渡れたら、久しぶりに報告ができそうだ。
彼から「Great」と言ってもらうために次回のターゲットとして僕は佐渡を選んだのかもしれない。
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やればできる
- 2012/08/14(Tue) -
P8120056-001.jpg
2012.8.12 μ1030

決断というのは難しい。それが生きるか死ぬかに関わる問題となるとなおさらだ。
海を渡るという行為となると、大げさでもなくそう思える。
何か海上、その途中で事故でも起きたら、その時の決断とその人を責めたてるわけにもいかないし、チームでの決断とは言え自己責任だ。
行くか、行かざるべきか。
一人ならその決断は容易だけど、メンバー全員の命も懸かる行為だけに、安易に同調できないし、反対もまた難しい。今回は珍しく僕が一番消極的だった。理由は手持ちの行動食が少なかったことだった。

昨日横断を達成してしまったことでのやりきり感と、天気予報から得られる情報から判断するに、我が家のある葉山まで漕いで帰ろう、というのはちょっと無理かもしれないなと思っていた。3人の意志がそこに向かうかどうかが重要でもある。同行してくれた兄さんは前日、「翌日では気持ちが切り替えられない」とも言っていたこともあり、半分あきらめていたのだろう、前日スーパーで行動食を買い損ねたのだった。

夜中土砂ぶりの雨に降られ、やはり無理だろうなとうつらうつら思いながらいざ朝起きるてみると風は弱く、天気も悪くはなかった。翌日は風が強まるということは予報で分かっていた。
であれば当然城ケ島までの縦断チャンスは今日しかないということですぐにでも決行しいところだったが、いかんせん手持ちの朝飯もないし、海での昼食、万が一の際に備えての海での夕食分、その用意がなかった。
探し回って朝ごはんこそ食堂で食べることができたが、コンビニはおろかスーパーも商店も早朝から店を開けている商店となると一軒もなかった。気休めに無人スタンドでトマトときゅうりだけ買って、3人再び討議する。
行くべきか、行かざるべきか。
全員の行動食を3等分にして、足りると判断し7時半頃出発。一泊カヤック達を停泊させてもらい、無料で寝泊まりさせてもらった漁港で、出発の際漁師に、「また会えるといいね」となんとも不吉なことを言われるのが頭に尾を引いて残る。
自らの予想ではやや強めの追い風に追い波、時に追い潮流を得て進み、目標地到達時間は8時間としていた。

しばらく凪で快適に進んでいたが、大島の風裏となっていたためで、房総半島と大島との間に入り込んで来る風を受ける場所まで出たところで、うねりもまた徐々に高くなっていった。
写真の船の人たちから、ここらは静かだけど、この先うねりあるから気をつけて」と言って大島方面へと去って行った。
「誰もが城ケ島まで漕いで僕らは渡ります」というと驚いた顔をする。あまりそんな人は見かけないのだろう。

漕ぎだして1時間くらいの頃からか、パドリングで引く右腕に痛みが伴いスピードが出なくなっていた。
残り8時間か9時間。この痛みとどう戦うか、諦めて引き返すという選択もある。まだ大島は目の前にあった。
まるで漕げないわけでもない。左はきっちり生きている。
時速8キロ~9キロ出ていたスピードも、房総半島の先端を真東にとらえ始めた辺りから少し落ち始めた。
そして強い東向きの潮流があり、舳先を真北に向けて北東に進んでいた。
4年前にでっち上げた計画では、房総半島に渡り、城ケ島へ行き、ぐるっと湘南を巡って再び伊豆へというループを頭に描いていた。真っ先に見えた暴走半島の先端の方が城ケ島を直接狙うよりやや近い。
しかし今回は三浦半島へ直接渡ることにこだわった。
昨日とはうって変わって、うねりの影響をもろに受け、遊園地のバイキングのように上がって下がってを繰り返しながら漕ぎ進める。1時間おきの休憩もあまりリラックスして休めない。晴天が広がりじりじりと肌を焼かれる感触とともに疲労は積み重なっていく。

そしてようやく僕らは大島をスタートしてから9時間後に、いや僕だけ9時間半かけてこの海域を渡りきった。
黒ひげ危機一髪だったか、あの土台に刺さった刀を一つ一つ抜くかのように、僕も一つ一つやりたかったことを着実に実現していきたいと思っている。
その刺さった刀の一つがこの大島縦横断だった。韓国-対馬-東京までのカヤック渡りの練習でもあったけど、一つその壁を越えてようやく行けるかもしれないと思えた。ただこの距離感を翌日、また翌日と続けられるかと言えば、今はとてもじゃないけどできやしない。高ければ高い壁の方がいいことは間違いない。
あと一年。そのときどう過ごしているのか、今は生活の方が五里霧中で、それはカヤックより高い壁なのかもしれない。
でも、やればできる。高校の先生からもらった言葉はいつもどこからか聞こえてくる。
そう、今回のカヤックのように、やってみればできるのだ。
やり始めるまで躊躇してどれだけ無駄に時間を費やしてきたことか。

最後のチャレンジに向けてまだまだやるべきことがたくさんある。この一年、この一日、365日すべてが勝負と決めて、来年の夏に向かう。その決意を9時間強、ちっぽけな船で大きな海に揺られながら考え続けていた。
google 城ケ島
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