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初日の入り
- 2013/01/28(Mon) -
DSC06809-001.jpg
2013.1.28 NEX-5

今回の旅の間に色んなものが壊れたり不調を訴えたりしていた、というのは以前にもこのブログに書いたのですが、旅用のメインカメラのNEXのレンズにカビが付着してのも、今回の旅先で気づいたことの一つ。
ムシムシ度の極めて高いアジア域で毎日酷使されていたのだから仕方ないのだけど、カビに気づいてからはあまり手に取ってシャッターを押したくなくなっていた。
抜けるような青空を写真に撮るのが好きな僕にとって、必ず黒点が入ってしまう青空写真はなんだか物悲しくなってしまうのだった。

日本に帰ってきて修理センターへとすぐに駈け込んで持ち込み、今日それが戻ってきた。
品川から家まで戻るまでワクワクしてしょうがない。曇りなきレンズで早く何か撮りたいと。
帰国してからすぐ裏の海岸にも忙しくて足を運んでいなかった。
まずはあそこへ行こう。
免許やら家賃やら修理やらで半日で仕事を切り上げ、ぎりぎり夕陽に染まる空時間に家へ戻ってきた。
平日の海岸、ましや冬には誰もいない。
帰国して慌ただしくて実感を伴わなかった帰国感だったけど、なんだかこれをみてようやく日本に戻ってきたんだなという気がした。
しばらく夕陽を見に足を運んでいなかった。こんなに心穏やかに過ごせる時間がすぐ近くにあるというのに、浮足立ってうろうろあくせく動き回った半年間だった。

日本への帰国と、次への旅の目標に向かうために決心する。
これからぐんぐん陽は長くなっていく。
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ソウルでゴール
- 2013/01/15(Tue) -

仁川-ソウル 50km
2013.1.13 Sony NEX-5

韓国の道幅は狭い。といっても自転車が走ることのできるスペースの事だけど。
本来自転車が走るべきスペースなのかはわからないが、歩道は雪が積もっていてとても走ることができず。
よっていつものように、これまでの国のように車道を走るのだが、路肩といえるようなスペースがほとんどない。
これまでの国で一番走りづらいところかもしれない。
ずっとヘルメットもなしに、また車道を堂々と走っていて大丈夫なのかと思っていたが、警察に呼び止められもせず、対向車線でマウンテンバイクを走らせっている人がいたため、安心して継続。
しかし、あたりはまるで東京都内のようなところで、極めて景色が似ており、また信号だらけ。先に進めない。
行儀がいいのか誰も信号無視などせず、おとなしく赤信号ではきっちり待機している。
バイクなどはほとんど見かけない。数台中型の宅配系のバイクだけで、スクーターなど皆無だった。
冬で凍結するというのも影響しているのかもしれない。
地上はまるで東京、地下鉄はまるで名古屋、まるで日本。そんな世界についに着いてしまった。

結局釜山へ向かうために、行けるところまでという行きという計画は止め、こうしてソウルへと向かったのだった。次回のカヤックのためにも地図や何かしらの情報を仕入れておきたかった。
ということで今回のゴール地はソウル市内。どこかそれらしいところまで行って写真を撮りたかったから、予約しておいた宿をスルーして、市内まで荷物を自転車に括り付けたまま突入し、上り下りの多い坂道をせっせと走り、たった50kmばかりなのに夕方近くになってようやく中心地についた。

なんとコーヒーショップの多い町なんだと思う。少しは中国に分けてあげたい。
とそんなことはどうでもいいのだけど、ハングル文字を生み出したという昔の皇帝(4代目だったか)がどーんと道の真ん中に居座る場所を見つけ、いかにも中心地かつゴールらしき場所ということでこれにて今回のサイクリングをおしまい、とした。

いたるところで日本語を話す人たちがいることにも驚かされる。
そこら中に竹島=独島を表すものがあるのにも驚かされる。独島マグロ専門寿司店というのがあり、入りたい衝動に駆られたが、なんだかやややこしいことに巻き込まれそうな気がしてやめた。
仁川ではホテルはラブホテルばかりだったのにも驚かされた。

と、ついにはここまで北上し、寒さ極まりない場所まで来てしまったが、シンガポールから中国のチンタオまで、道が続いているということは分かった。
これからは海の道だ。
まだ北朝鮮との問題の残るこの国のコーストラインをどれだけ旅することができるのか分からないが、西側、そして南側は地形からして魅力的なのは地図を見れば明らかである。
次は韓国を自転車で再び南下するか、最初からカヤックか。まだ結論は下せないが、いずれにしても再訪を目指す。
次こそがいよいよ最後になる。そして一番の山場だ。

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ハングルハングル分かんねぇ
- 2013/01/14(Mon) -

仁川港
2013.1.12 Sony NEX-5

オーストラリア、ニュージーランドを含めれば、サイクリングでは11ヶ国目となる韓国に入った。
トウさん、りーさん達と離れ再び一人となる。
仁川に着いてから、南へと向かおうかどうか悩みに悩んだ。
走ることができるのは3日間。さらに積雪の状況はついてみないと分からない。どんなに条件がよくても、釜山まで、最短ルートをたどるには山越えをしなければならず、道路上には間違いなく雪がついているだろうことは明らかに思えた。
そんな中、到着予定時間が11時から14時へと変更になった。リミットは2日間となってしまった。
道を次のカヤックでつなぐにしても、少しは南下しておいたほうがいいと思ったが、どうするにしてもあまりに時間が足りなかった。台湾のように新幹線がバンバン走り、どこにいてもすぐに移動できる、そんなイメージもあったのだけど、西海岸のとくに沿岸部を走るとなると、あまり交通の便が良さそうではなかった。

仁川で一泊して、翌朝南へと少し走るか、それともソウルへと行くかは朝起きて決めることにした。
翌朝、起きると中国より寒かった。ホテル近辺の道は完全に凍結していた。2日間で200km、南下し予約しているチケットの出発地釜山までという目標は下方修正することになった。
そこで次回、仁川からカヤックで南下しようと目論んでいる。仁川の港は北から南へと縦に管理された土地が続き、とてもカヤックで出航できそうにない。
自転車で次回出航できそうな場所を探しては見るが、どこも難しそうだった。

地図をみれば、仁川国際空港の位置する島にはいくつものビーチマークがあった。
ここか。次の出発地は。

中国とはまた大きく環境が変わり、便利さや安全度は日本に近いもの感じる国だった。違和感、異質感といったものがまるで感じられない。
直進して進む自転車の僕に右折してくる車が道を譲ってくれた。それも手で合図しながら。中国ではありえないことだ。そしてクラクションはほとんど鳴らない。
意外だったのは右側通行だったことぐらいか。ラオス、ベトナム、中国、台湾、韓国とずっと右側続きだ。

夜ホテルから出て食事場所を探しに出かける。
ハングルには参った。もちろん一文字たりとも読むことができない。雰囲気で食事場所かどうかはもちろん分かるが、何料理なのかは入ってみないと分からない。
えいや、と飛び込んだ店はうどん屋さんだった。
タイ語は読めるようになったが、これからはハングルである。
カヤックで沿岸部を旅するならば、当然言葉の習得は必要となってくるだろう。
中国では言葉がまるで覚えられなかった。シューとかシェ-とかウォーとか抜けるような音が多く、それに濁音もないため言葉に特徴が見出せず、頭に入ってこなかった。
韓国語はどうだろう。この難解かつ暗号のようなハングル文字に興味深々ではあるが、今のところアニョハセヨ、カムサムニダの2語である。
今はまだまるで分からない。それでもタイ語のように、ぐっと惹きつけられる文字の形をしている。
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Bye-Bye チャイナ
- 2013/01/14(Mon) -

青島-仁山 by weidong ferry
2013.1.11 RicohPX

青島から韓国の仁川に渡る船に乗った。可能な限り人力でというこだわりがあるが、この海峡、350kmもあり、なおかつ北朝鮮にも面している。
その代わり同じ緯度のところまでという、なんとなくのこだわりでここまで走ってきた。
国と国を渡る船というのもまた興味があった。
17時間(このときは潮の関係で20時間)もかかる船は韓国製でとても快適だった。
しかし空路の発達したこの時代に、こんな辺鄙なルートを選ぶ人たちというのは、自分も含めて、極めて一般人でもありまた、変わっているとも言える人たちの集まる船でもあった。

前日のうちに港でチケットだけは買っておいた。
指定された時間に行くとすでに多くの人たちでにぎわっている。少しして日本語で話しかけられた。
「ここに自転車をおいておくのはよくないですよ」と。
後にトウさんと名乗る、長渕剛似の青島人がそう忠告してくれたので、より人の目が行き届く安全な場所へと自転車を移したのだった。
しばらく日本語でトウさんとお話をする。すると、
「ワタシノお兄さん、この船に乗るあるよ。でも荷物多いからイガラシさんに運んで欲しいものあるよ」という。
きたきた。極めて典型的な怪しさ極まりない依頼ごとではないか。

そのトウさんにさりげなく聞き出す。
「この船に乗るんですよね?仕事?観光?」
「もちろんお仕事ですよ。ビザ、これみてください」とトウさん。さっと見せてすぐしまう手つきがいかにも怪しい。
周りには港の職員も韓国の観光客もたくさんいる。
「で何を運んで欲しいのですか?」
「はい、これ見てください。黒豆にピーナッツ」どっしりと重い豆類の袋が二つあった。
彼はなにやら企業から依頼された物資を中国から韓国へと運ぶ仕事をしているとのことだった。
フェデックスやDHLなどが発達した今日、日本ではあまり聞かない仕事だけにますます怪しかった。
しかしそれまで港でいろいろ僕の面倒をみてくれていた。しかしその親切の代償に麻薬やら薬物関連のものを運ばされて、韓国で御用になるのだけは避けたかった。

出航までは2時間もあり、トウさんとお兄さんも船に乗るということなので、まあ適当にいいですよと言って、あとでしらばっくれて逃げてもいいかと思っていた。
船に乗る。すると早速トウさんからのお誘いで、ビールでもどうですか?となり、宴会が始まった。
中国大陸最後のお別れをデッキから眺めて味わおうと思ったのだけど、気づけば出航していて陽もくれ、リーさんというにぎやかなおっちゃんも混じって青島ビールを飲みまくっていたら、大陸などあっという間に見えなくなっていたのだった。
さりげなく彼らの職業やら、トウさんがなぜ日本語が達者なのかを聞いたりしながら、黒豆を運ぶかどうかの判断材料を集める。
たかだか1キロか2キロのものを僕に頼むメリットがどれほどなのかが分からない。
韓国のイミグレを出たら「ワタシノ友達待ってるあるから」という。散々ビールをおごってもらい、りーさんの奥様手作りの持ち込み料理を頂き、楽しい時間をすごしたのだった。
船の中の場所案内やら、酔っ払った韓国のおっちゃんから僕を守ってくれたりした。
彼は親しげによってきて、足りない英語とぐでんぐでんの舌で何かをしゃべっていたのだけど「抗日」という言葉を手に書いた。
なんだ、日本が嫌いならわざわざ寄ってこなくてもいいのにと思う。
150人ばかりしか乗っていない船には60人くらい、コウさんのような運び屋が乗っているとのことだった。みなと仲良く話しているし、とても危ないものに手を出してはいない人たちだろうと判断し、黒豆の運び役をかってでることにした。

降りる前に、「豆類バックパックに入れてください」という。なんだかまた怪しいと思ってしまうことをいうトウさん。
彼らは観光客より遅れて船を降り、再び4時間後、同じ船で中国へ引き返すとのことだった。

まぁ捕まったら彼らを引っ張りだして、なんとでもなる、と思いどっしりと重い黒豆類を自転車に積み込み出国したのだった。
X線検査。どきどきするがお咎めなし。
ゲートを抜けて見知らぬ男に呼び止められる。どきどきしながら、こそこそしてはならぬと思いながら、どうどうとバックパックから豆類を出し、名も名乗らない男に渡す。
何も起きなかった。

僕はすぐに宿を見つけ、スーパーでトウさんが大好きだというアサヒビール、リーさんの愛して止まない青島ビールを買い込み、再び港へと戻った。
まるで日本人のように、いやいやいやいやと二回ほど受け取らないしぐさを見せたけど、喜んで持っていってくれた。
そして僕は青島にも友達ができた。
青島で知り合った女性と結婚した友人といつかここに来て、みんなでビール祭りにでも行きたいという夢もできた。
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中国ラストラン
- 2013/01/14(Mon) -

日照-青島 119km
2013.1.10 Sony NEX-5

ある日本の友人は、日本の女性では飽き足らず、ここ青島で知り合った女性と結婚してしまった。
そんな遠いゆかりの地。一度は訪れたかったのだけど、その時はあまり青島のことを知らず、ビールと日系企業商社の街という認識でしかなく、興味を持てずにいた。その彼がまた夜の青島話をするものだから、ま、そういうところか、ぐらいにか思っていなかった。

ところがどっこい、青島の南から徐々に近づくにつれ絶景が続いていた。
僕の大好きなオーストラリアのアウトバックと呼ばれる領域にある、岩肌に似ていた。
違うのはその岩山のすぐ手前に中国らしい高層ビルが立ち並んでいることぐらいか。
エアーズロックのさらに先にある風の谷と呼ばれる岩山に雰囲気は似ていた。
あとで聞いて知ったことだが、青島の人たちもこの山に近年登るようになったらしく、しかし事故が絶えないらしい。山頂までのルートはまだ整備されてはいないのかもしれない。

これまで真っ平らだった道は山が見えるにつれアップダウンが多くはなったが、今日は珍しく南風が予報通りに吹いていた。
何日も前から天気予報で確認していて、楽しみに待ち焦がれていたのだ。案の定、ペダルは軽い。
だがそれでもあと一日だというのに、どこか気が晴れないサイクリングでもあった。

海を間近に眺めながら広い大通りを走る。道路コンディションはとてもよく、かなり幅広の道だというのに、ほとんど車が通らない。
後ろからクラクションの猛攻に遭わずにすむ。

そして目指したのは青島を湾を挟んで対岸に見える黄島というところだった。
C字型の半島となっていて、ショートカットできる橋とトンネルがあることは分かっていた。
いずれも自転車は通行不可だろうと見込んで、最初から渡船を選んだ。ただし運行しているかは不明。
これに乗れないとなると80km多く自転車を走らせないとならない。着いてみないと分からないわけだから気が重い。
それでもこの船に頼るしかない。
黄島区の繁華街に入ると日本語の看板がたくさん並ぶレストランが軒を連ねていた。
友人はここで仕事していたのかもしれぬと思いを馳せつつ、もう日本なんだなぁという気持ちになる。
船着場はさらに北上し、コンテナを積んだトラックばかりが走る工業地帯を抜けたところにあった。
着いたはいいが、誰もいない。次の船は16時15分ですという意味なのだろう、フリップのみがあって、待っている人すらいなかった。
まるで到着した達成感がない。まだ予定通り青島の街まで行けるかどうか分からない不安の方が先に立っている。
10分後一人のおっちゃんが来て安心したのだが、このおっちゃんがまたいけなかった。
5秒おきにそこら中に痰を吐き散らしていたのだ。待合の建物入り口付近でカーッ、ぺっとやるもんだから、外に出るための足の踏み場もなく出られなくなってしまった。
その後続々と船着場に現れたおっちゃん達は禁煙と書かれた建物内でところかまわずタバコをふかし始めた。
タバコに痰ペッにクラクション。中国ではこれらに対してマナーなんて観念はないのかもしれない。

ちなみにクラクションは、街中を走る教習車ですら鳴らしている。乗り込んで、プッー、降りる前にプッー。
あるときなど、トラックの運ちゃんはドラムのリズムでクラクションを鳴らしていた。
うん、あと女性がカーッ、ぺっをしていたがあれもできれば見たくはなかったな。

とまあ街中走って観察しているといろんなものが見える。
そんな悪いところばかり目にしていた訳ではなく、たくさんの温かみの中があった。
僕は青島までの30分弱の船の中、これまでの長き中国での思い出を、繰り返されるカーッ、ぺっの音とともに振り返っていた。
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