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達成
- 2014/08/19(Tue) -
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2014.8.13 RicohPX 国境近辺にて

「あれこれ考えたってどうせ思い通りにはなんねぇ。だったら飛び込め、なんとかなるもんだ。死にたくねぇからな」
と夏ばっぱ。
ついに自分の目前も四の五の言ってられない状況になった。海が兆候もなく急に流れ始めた。スピードが出ない。7km/hペースで来ていたが一気に5km/hを切った。海流に真正面に向かうと3km/h以下となる。10時の時点ですでに、対馬の佐護15時半着は不可能なことは明らかだった。税関、保安庁に遅れる電話を入れる。「17時頃になります」と。心の中では間に合わないだろうなと思いながらも。
その間手を止めれば進行方向とは逆の北東にぐいぐいと2km/h~3km/hのスピード流されていく。いたって穏やかな海の中に目に見えぬ強さがあった。先に進むか戻るかで常に自問する。まだ戻る体力は温存しているしリスクは低い。流れの強い海流があとどのくらい、あと何時間続くかだ。そして自分の気力と体力がどこまで耐えられるかだ。行くか止めるか決断が遅れればそれだけリスクも高まる。漕ぐ手を止めたところで誰も助けてはくれない。
12時間、いや20時間漕いでも漕ぎ続けられる体力はある。夜間航行の準備も一応してある。天気は明日の朝まで穏やかで波風が高まることはない。よし行こう。何時間かかろうと対馬のどこかにへばりつければそれでいい。

しばらくすると長いこと距離をおきついてきた海洋警察の船がぐっと近づいてきた。「あなた流されてます。これ以上は危険だから進まないで下さい」とでも言われるのかと思ったがそうではなかった。
「さよなら~、さ、よ、なら~」操縦室あたりで手を振っている人が見える。「さよなら」という言葉は悲しい響きであまり使わない。「じゃあね」というのも間が抜けている。面倒なことに付き合わされたに違いないのに、彼らはいつまでも手を振りながら船は大きく西へと旋回していき気づけば見えなくなっていた。一緒に韓国帰りたいと思ったが、彼らが引き揚げていったということは日本の領海にまで来ているということだ。
静寂。
今は強い流れを船の横で受けながら並行移動するフェリーグライドという方法であえて流れされながら、海流の島影まで回り込んで進むと決めた。この作戦にしかない。
もともと流れを想定して対馬の北側西よりの港をターゲットにしていた。今の流速の中をまともに向き合い漕ぎ続ければ早いうちいつか体力が尽きジエンドだというのは分かっていた。であればあえて流されるしかない。すでに現在の進む方向にそのまま向かえば島をギリギリアウトでかすめていくライン取りになっていた。もはや手を止める暇はない。国境でカヤックから海に飛び込み体で国境線をつくるバカな写真を撮る夢も潰えた。

視界に鳥以外生き物の姿はなくなった。鯨が出ると対馬で脅されたが不思議と恐怖はない。漕ぐしかないからだ。
数時間漕いで到着時間を割ったり掛けたりして計算すると到着は夜になりそうだった。17時が、後に19時とどんどん遅くなってしまう。検疫の方だけは必ず上陸地にこなければならず待たせなければならないのが申し訳ない。
長く全力で漕ぎ続け、次第に対馬方面へと船を向けてもスピードが落ちなくなったことが分かり、海流の強い流れから抜け出したことが分かった。夕刻になり風も背中側から吹いてきたためかとも思ったが少し楽なパドリングとなった。しかしまだ島影は見えていない。

残り20km。18時半頃到着が見込めてきた頃になってちらちらと対馬の姿が見えてきた。ひょっとすると雲の切れ間かもしれない。
僕は長くこれがやりたかったのだ。日本に帰ってくる、その方法として動力は自力で。
長くかかった旅もこれで10カ国目。最後の国日本に帰ってきた。昨日対馬にいたけれど、気持ちの上ではまだ途上だった。海流が逆境でも手続きが大変でも韓国側から日本にカヤックで帰りたかったのだ。ようやくそれが見えてきた。
しかしいつも通り見えてきてからが長い。15Km。少し安心できる距離となる。スピードだいぶ上がってきた。だが忘れていた。島の周りには、特に北端や南端といった島の端っこには潮がきつく流れているということを。そんないつもの単純なことすら忘れて潮がこの時間どちらに流れるのか調べてもいなかった。

カヤックは再び流され始めた。島影に回ることも叶わず大きく手前で南に引き寄せられていた。辺りは次第に暗くなり、陸が見えているというのに、スピードが出ているのに近づけずにいた。そして日は沈み暗闇に。漁船がうろうろしている中でちっぽけなカヤックは安全ともいえない。ストロボを焚いて再び全速力で漕ぎ始める。
灯台もあまりなく海から町の明かりが見えなかった。入り組んでいるために隠れているのか僕のナビが狂っているのか。次第に焦り出す。すぐそこには陸地で砂浜上陸してしまってもよかったが、検疫がそれを許してはくれないだろう。それに相当長い時間待たせている。
明かりが見え近づくと大きい漁船だったりする。まだ満月は空にあがってこない。ついには携帯の充電も1%となった。
鰐浦港というのが僕がたどり着いた港だった。暗くなり目標点を見失ったが、夕方保安庁に告げていた場所に着いた。
港の奥についても人の姿はなく、しばらくカヤックの中で人が来るのを待つ。検疫の方に上陸しないで待つようにと指示されていたからだ。
警察、海上保安官、検疫の方がお出迎え。取り締まりというか質問というか尋問が続き、居心地悪かったが、最後に始めてみる笑顔で「どこが一番きつかった?」と聞かれ、何とか無事着いたのだという実感を得たのだった。

翌日、温泉で体重計に乗る。多分この1日で2kgは減ってる。それでも4月の最大体重から一時的でも14kgの減量完遂。タブルで目標達成となった。

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駆け込み出艇、いざ勝負
- 2014/08/18(Mon) -
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2014.8.13 Ricoh PX Pusan 70Km

そして出発。
結局気持ちの高ぶりは治まらず、興奮して一睡もしていない。大丈夫かこんなんで?と思うが今は神経がギンギンに覚醒している。

カヤックを出発前に組み上げるというのもまたドタバタだ。許可申請もぎりぎり、おそらく全ての体裁を整えたのはいいが、これからのカヤッキングに必要な道具や一部部品が欠損、なんて不具合が生じたりなどしたら一貫の終わりだ。あれこれ関わってくれた人に恥ずかしくて目も向けられなくなる。

早朝4時半。暗い中ヨットハーバーでカヤックを組み始める。
そしてほら来た、1ヶ所部品が破損している。組み合わせたフレームのジョイントを保護するためのパーツがぽっきり根本から折れて外れていた。いやな予感その1だ。出航を取りやめろというサインか。しかし同じような箇所は去年も外れたじゃないかとひとりごち、前回1ヶ月間しのいだようにテープを巻き、荷物で押さえこむ。今日1日しのいでくれればいい。これだけ準備に時間がかかったのだし一からすべてをまた二度とはやりなおせない。ここまで開かない扉をこじ開け進んできたのだ。
とはいえ海上でカヤックがぽきりとV字に折れたりでもしたら、ただただ漂流するしかない。不安はゼロにはならないが、睡魔もカヤックも、許可も天気も全て不安なく出航したかったのだ。同じような箇所が以前壊れていて気持ちの上では助かった。
だが気持ちがあせっている。組み立てに時間を要しうまくいかず、いつもより神経質になっている。

カヤックを組み上げこれで横断に向けすべての条件が整った。
1、風:4m/s以下と奇跡的に弱い。これが一日中続くなんてこれまた素敵。
2、波:台風によるうねりはあるものの予報終日0.5m程度と素人の私でも安心快適。
3、それらの向き:横からやさしく吹く風に後方よりの波、影響は少ない。
4、潮流:海流とは反する最強流速がAM10時頃Max記録予定。これに乗ればきつくはない。あとでこの読みの甘さに翻弄されるがこのときは知る由もない。
5、雷:発生確率は0%。5%でもあれば中止する予定だった。僕にとっては一番の天敵。真上で光ると思考停止する。
6、海流:時速1キロから2キロの速度で竹島/独島方面の北東へ向けて流れる。進む方向からすれば、直角よりややきつく120度角くらいか。パワーの凄さに恐れ慄くがこの時はまだ知る由もない
7、保安庁、海洋警察へ連絡して出発したいざ出発。

日々自己紹介に次ぐ自己紹介をする仕事を長年続けているが、これまで何百回繰り返しても毎回緊張してしまうほどチキンハートの自分だけに、天気に対しては慎重に慎重を重ねて決断した。自分のレベルでは8月、この日しか横断できなかったと思う。もうあとは漕ぐだけなのだ。
ヨットハーバーには海洋警察の小さいボートが待機していた。まだこの時間動いているヨットはなくリスクは少ないがどうやらエスコートしてくれるらしい。と思えばお気に中型、さらに沖に大型の船にバトンタッチ形式で計三艇入れ替わった。こんな遊びに付き合わせてしまい本当に申し訳ない。
しばらくは時速7キロ~8キロのスピードで進んでいた。到着予定時刻を15時半と設定。出発が6時半だったため約9時間の航海だ。対馬の佐護という港まで直線距離は60km。時速7キロ程度であればささっと着く予定だったのだが、やはりそんなに甘くなかったことをのちに悟ることになるのだが、まだこの時は知る由もない。
一時間おきにパドルを休め休憩する。おにぎりをたべ、塩飴を摂り、水をがぶ飲みする。とりたて景色も変わらず単調になるから休みの暴飲暴食だけが楽しみになるのだ。振り返ると巡視艇も遠く離れたところでゆっくりついてきている。そして沖に向かうのにはとても似つかわしくもないサザンを流し口ずさみながらテンポをつけてパドリングしていたのだった。まさか携帯の充電が1%にまで落ちるとはつゆ知らず、このときは知る由もない。

進めば進むほどスピードが落ちてきていた。1年間完治していない左肩甲骨の痛みがまたうずき出す。早くも右ひじはパドルをさすだけで痛みだした。いやな予感その2だった。
どうやらこの痛みのせいで速度が落ちてきたのではないと気づいたときには、海流の本線に入り込んでいたのだった。
(つづく)

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要するにめんどくさい手続き
- 2014/08/18(Mon) -
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2014.8.12 iphone5 Pusan

カヤックで日本に入国するのであれば、24時間前までに海上保安庁に電話するという連絡義務があった。「さっき対馬に着いたところですが、明日高速船で釜山に行き、翌日カヤックで戻ってきます」という訳の分からぬ申し出にも関わらず、冷静に「では書類を提出してもらわないといけませんね」とのことだった。以前と違い面食らう。
続いて日本の税関にも電話をいれる。「厳原にお越しのようですから一度高速船に乗って戻る前にお立ちより下さい」とのことだった。僕が何をしに対馬に来ていてあわよくば何をしようとしているのかがばれてる。昨日の釜山発の高速船には僕以外全員が韓国人だった。しかもカヤックをごろごろ引っ張っていただけにマークされていてもおかしくはない。
「では入管の方も呼んでおきますから」
韓国に戻る高速船の出発まで多少時間があった。ここへきてやんわりお断り、なんてことがふと頭をよぎる。

対馬の税関、入国管理局ともに厳原にあり、上と下の二つに分かれた対馬の下の方さらに南の方に位置している。僕が対馬着でターゲットにしているのは当然最短かつ安全な場所であり、上対馬の北端近辺となる。もし韓国から厳原までカヤックで目指すとなると無上陸で丸3日はかかるだろう。そのため税関も入管さんもわざわざ僕がターゲットとしている港か浜まで特別に出向してくれることになるのだった。
「検疫さんには連絡した?」と聞かれる。以前に入国したらその場でエタノールで消毒して下さい、と連絡をもらっていた。
だから検疫はパスしたものだと思っていた。
この検疫が大変だった。対応する人が1人しかいない上に、突然カヤックでなんて話がきたもんだから多少いらつきパニくらせてしまった。
というとでシーカヤックで国をまたいで入国するためには、保安庁に連絡し場合によっては計画書や入港手続きを提出し、税関に通知し、入国管理所に船員届けや臨時特別入港入国届けみたいなものを作成してもらい、、、と要するにめんどくさいのだ。

一方韓国サイドでは。
これまたもっと面倒くさい事態が待っていた。
16:30 カンさんと釜山港で待ち合わせ、そのまま出入国管理局へ。30分ほど時間はかかったけど、入国後すぐ出国のスタンプを押してもらった。晴れてどこの国にも存在しない身となる。
税関へ。前回とは異なる場所に行き、出航場所として選んだ松島(Song-do)ビーチでの手続きのためにこの写真の場所へ。手続きはスムーズかに思えたが、ここからが劇的だった。
別の税関デスクに最後行かなければならなかった。まさかまさかと思いカンさんに付いていくとあの厳しいおっちゃんのデスクへと向かうのだった。
カンさんはカヤックは手荷物でそのまま持ってくれば大丈夫、と昨日電話言っていた。そしてまさかのおっちゃんは、前回の時と同じように僕らに「No」という答えを突きつけたのだった。
いい分は前回と変わらずらしい。カヤックを持ち込んで入国する以上、申請し必要な検査や審査を受けなければならないとのこと。すぐ目の前一時間前に入国してきたのだから、必要なら今カヤックの検査してくれというわけにもいかないらしい。
カンさんは聞いていない、おっちゃんはこないだもこいつの連れにそう言ったんだの一点ばりでまるで突破口がみえないまま、1時間半。ついにはカンさんも言葉少なくなってしまった。諦めるしかないのか。韓国語を話せないだけに目で訴え、粘って認めてくれるまで動かないぞという姿勢を見せることぐらいしか僕にできることはなかった。
18時を回り、署内に人がどんどんいなくなっていく。数人の味方かどうか分からない人たちが厳しいおっちゃんに何とかしてやれ、みたいなことを言ってくれるが頑としてききいれてくれなかった。
返す言葉がなくても動かず粘り、おっちゃんは一言「あいつに聞いてくれ」みたいなことで指をさした。
18時半、その指差された上司だか担当だか分からない人が、カヤックが検査台を通った証拠を探し、その時間に必要な検査をしたということを時間をさかのぼり特別に処理してくれたのだった。
奇跡は起きたと喜んでもいられなかった。
再びこの事務所に戻り、残りの手続きを行う。当初の松島ビーチという場所から出航はできなくなっていた。国外に出ることができる場所は釜山港かヨットハーバーに限られているとのことだった。
対馬までの直線距離はさらに遠くなる。そしてこのヨットハーバーを使用するための許可が必要なのだった。
釜山市が管理するこのヨットハーバーに電話するカンさん。すでに責任者は帰っているようで、電話の相手は自分には許可する権利がないと言っているようだった。
それでもかけ直すから待っていてくれということで、待つこと30分、40分。もう祈るしかない。
明日カヤックで出発することへの不安など考える余裕もなく、ただ「Yes」と言ってくれるのを待つしかなかった。

あとで食事した時に聞いて分かったことだけど、カンさんの諦めず交渉し続けるという押しの強さは韓国人だからということではないらしい。無償のボランティアではなくビジネスとして契約していたからこそ、粘りに粘ってくれたらしい。
約1時間後、電話の交渉の末ヨットハーバーの出航許可も下りた。ヨットハーバーは税関では別の管轄だということで、タクシーで急ぎその管轄の税関へと向かった。
どこでもそうだけど、根底には前例がない、1人で海に出る、自分が許可したことで事故でも起きたら責任を負わされる、という考えがあるようだった。渡れるかどうかはやってみないことには分からない。僕だって前例がないことに対する怖さや事故が起きた時、会社や家族が謝ったり対応したりしている姿を想像すると申し訳ない気持ちになるし、そんな可能性があるならやるべきではないとも思う。素人ながら天気をみれば明日8/13しか渡れる日はなさそうだった。一日待つと昼過ぎの早い時間から風は強まり、海は荒れだす。であればここでなんとか今晩中にすべての許可を得るしかないのだ。
22時、ようやく最後の手続きを終えたがまだ泊まるところが決まっていなかった。
海雲台ビーチという観光地の近くだったため、カンさんが何とか寝床を見つけてくれた。ユースホテルなのに1万円。ヨットハーバーを下見し、カンさんと韓国最後のクイックディナーを取り、ホテルの部屋に戻ったのが23時半だった。
カヤックを組み立てることもできず、明日5時に出発。もうめちゃくちゃな強行だった。こちらの都合でいうならば、韓国の方が安全を思うあまりどんどん安全ではない方向に事が進んでいるようだった。
大急ぎで荷物を振り分け、チェックしベッドに横になった。
いよいよだ。明日への興奮というより、今日の出来事にあまりにドキドキさせられ気持ちはうねりのように浮き沈みを繰り返したために寝付けそうになかった。

~カヤック等でサポート船なしに日本-韓国間を渡航する稀有な人へ参考情報~
必要な手続きや連絡は以下の通り
<日本側>
●海上保安部警備救難課 比田勝 ものしくは厳原局へ
①事前の計画通知 ②24時間前までに口頭連絡 ③必要書類のFAXもしくは提出 ④船員リスト提出 ⑤出航後の定時連絡
●厳原税関支署
①事前の入港場所・時間連絡 ②税関申告書の受け取りと事前記入、入国時の提出 ③遅れるようなら時間連絡
●福岡入国管理局対馬出張所
①事前の計画通知 ②指定の船員リスト ③所の方で作成してくれる特別入港許可所の書き込みと提出 ③遅れるようなら時間連絡
●検疫
①指定の船員リスト ②船内で病気したかどうか問われるYes Noアンケートのような用紙を受け取り入国時の提出に備える ③当日の入国時間と場所を伝えて打ち合わせ

<韓国側>
●入国管理局 Immigration(パスポートに判を押す)
通常は税関の許可が下りないとスタンプは押してもらえないとのこと。(たぶん)
①特別出国申請 釜山港のオフィスで行けば所定の用紙がもらえます。記入してその場で提出。
●税関 Costoms
日本の税関では動力のない船は手荷物扱いになりますが、韓国の税関ではいかなるものも船舶扱いとなり、国内に持ち込んで使ったりする場合には審査だか検査が必要。カヤックは船検証がないため、船と認定するための書類がなく、韓国側はこの辺があまり理解できないようです。船=どこかに登録している=車検証=もってこいみたいな考え。
①入国時に申告書にカヤックと記入して提出 ②引き渡すかのかどうか日数が必要なのかは不明 ③釜山港の税関でカヤックを持ち出すための手続き ④出航地付近の税関で再度申請手続き。許可証がないとどこかで止められたりしたときに一発OUTです。罰金罰則あり。
※日本とちがい税関と出入国は完全に分離しています。
●釜山市ヨットハーバーの使用連絡
ヨットハーバー側には許可ないし拒否したりする権利はないとのこと。僕があまりにも急いで出国するため、あせっていて安全上不安ということで、返事を渋っていたとのことでした。よって前もって連絡し日時を伝えておけばたぶんOK。地元のカヤッカーも出入りしているとのこと。
●海洋警察
①事前の計画通知 ②海上で取りあえる電話番号の通知 ③出航場所と日時の通知 ④定時連絡
言わずもがな。事前と当日の様子を逐一伝えないとならない。携帯でもなんでもいつでも連絡をとれる手段を確保しつたえておく。今回は携帯の他衛星携帯電話を使用、その番号も知らせておいた。出航場所には海洋警察官が付き添い、海上でも遠く後方で見張ってついてきます。保安艇がいても2時間おきに指定された場所に電話連絡が必要。

その他
海上では韓国のSK社の携帯電波が韓国側から40km沖合まで圏内、SK後は韓国OLLEH社の電波が対馬10KM付近までアンテナ1本。我AU社の電波は弱く対馬から20km付近まで近づいてから安定通話圏内。 2014年8月現在。
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予定外出国
- 2014/08/17(Sun) -
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2014.8.11 NEX-5 対馬厳原

敗戦気分のまま一時対馬の厳原へ。釜山の税関との交渉がいともあっさり終わってしまい、八方ふさがってしまった。打つ手もなくただ日長海を見て飲んで食っちゃ寝していても仕方なく、一旦隣の国に帰ることにした。対馬の税関の方にあって話をしてみれば、何かくぐり抜ける策ががあるかもしれない。どうしても叶わぬというのなら、ルートは逆だが日本から韓国に渡るというのもありかもしれない。いやもう韓国になど戻らず、対馬から本州に渡ってどんどん先に漕いでいくのもいいかもしれないとさえ思い始めていた。

台風12号も遠くへと去りゆくなか、まだうねりは残っているが、大韓海峡を今度は高速船で再度渡る。二度目の下見となった。この海況なら問題なさそうだと思えるそんな様子だった。翌8/12 になれば予報ではさらに風は収まり波も低くなる、8/13 さらに穏やかになりほぼ無風。8/14 波はほぼ0mというのが信頼する海峡の海上情報だった。

打てる手はできるだけ多い方がいい。釜山を出る直前に一応韓国の通訳兼手続き交渉人に会って相談してみた。名前をカンさんという女性で彼女に手数料を支払い、釜山の税関や出入国の必要な手続きを詳しく当たってもらうことなっている。
対馬到着後、早速そのカンさんから連絡が入る。
「税関とも話が済みました。特別な書類を作る必要がありますが、カヤックでの出国はできます」と。
気持ち半分諦めていたところに思わぬ朗報だった。
ではいつ戻るかだ。このままとんぼ帰りか一日置いて明日帰るか。遅いと天気はまた荒れてくる気配もあった。
「出発日、出発場所を決めて再度連絡を下さい」とのこと。
決心のときが来た。逃げるわけにもいかない。高額な手数料と高速船の往復運賃、これらを払うかこの先の日本を対馬を旅する易きに流されるか。しばらく悩んで神社にも行き、ついには決めた。
8/12、ここ厳原から釜山に戻る便は1便しかない14:40分発。16時半に向こう着いて交渉してカヤックを組み立てなど、8/13朝に出発までの準備の時間は果たして取れるのだろうか。慌ただし中出発してもろくなことにはならない。

夜、友人から「月すごいきれいだから見な」とのメールが入った。
海ばかりみて、天気ばかり調べていて空を見ることを忘れていた。彼女の指令通りよなよな歩きに出て月を探す。しばらくすると辺りを照らしだした。
このタイミングはどんぴしゃだ。間違いない、海を渡れる。
半ば離れていった夢が一気にまた手の中へ戻りつつあった。

いや待てよ、スーパームーンてことは大潮でねえか?8/13まで潮は大きく流れるんだったということをふと思い出し我にかえった。
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再度韓国へ
- 2014/08/15(Fri) -
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2014.8.9 Ricoh PX Pusan

「みなちゃま、ありがとうごじゃいます。本しぇんは間もなく、釜山港にごとうちゃくいちゃちまちゅ」
日本を出るまでにカヤックでの横断許可を取っておきたかったのだけど、間に合わず叶わず、とりあえず来てしまえばなんとかなるという甘い考えで、博多からニューカメリアというフェリーに乗り釜山まで来てしまった。この海沿いの大都市がちっぽけなカヤックの前に突然表れていたとしていたら圧倒されていただろうと思う。
前回はここから100km西のヨスという町で期限切れとなり、釜山の一歩二歩手前で終わってしまった。であるなら本来、自分なりにこだわりをみせるのならヨスまでわざわざ戻らなければならない。あの、最後にお世話になった海洋警察署の港に何らかの手段を用いてカヤックと共に帰るという面倒なことをしなければならないのだが、今回の休みの日程はそれほど長くはなく、すでに台風11号が南から上がってくることは分かっていて、それをやり過ごさなければいずこの海であろうとカヤックで出ることはできそうになかった。
海峡横断のみに絞り待つか、比較的海が穏やかな南海岸のヨスからスタートして巨済島(コジェド)まで行き、当初の予定通り海流を考えそこから島渡りするか、どちらにしてもまだ踏ん切りがつかなかった。要するに決断することが怖かったのだ。

1年ぶりの韓国入り。その間あの事故があり、この海域をレジャーするのがどうかとも悩んだ。あの、海洋警察にしたって遊んでる奴を相手しているほど暇でもないし、世間の風当たりだって強いはず。また自分にしても100%渡りきれるという自信も保障もなかった。ただやると決めたからにはやりきるという思いだけがある。
たとえそんな思いがあろうとも、韓国側の出入国と税関の許可が出ていない。これまでサポート船をつけて、両国の出入国時にはカヤックを船に乗せ、少し沿岸から離れてから船を降ろし、また韓国入国時にもカヤックを港手前で引き上げるという方法で横断に成功しているチームがあることは情報として得ていた。つまり、高額の漁船援助料を払える懐に余裕があるか、団体でツアーとして渡るイベントに参加するしかなく、まだ援助船なしの横断は開拓されていないと言えた。どこかには過去に、誰にも報告も自慢も吹聴することなく両国の許可を得て渡ったという人がいるのかもしれない。
ところがつい一カ月程前、タンデム艇で僕とは逆のルートで日本を出国し、韓国釜山入りを果たそうとしている二人組の事を知り、ついには援助船なしに山口県から島をホッピングし、韓国に入国したということをFacebook経由で知らされた。ひどく動揺した僕は負け惜しみ半分彼らとコンタクトを試み、少し情報をもらっていた。
逆ルートだということの違いもあるし、彼らは彼ら自身で築き上げたネットワークで開かない扉をこじ開け、援助船なしで成し遂げたのだ。その記事を読んだ時、心底ほっとしたのと同時にやはり悔しかった。「先をこされた」と。
と当時に許可が出なかったなどといういい訳は通じなくなる。そんな直前で達成されたことにあせりつつ、しかし自分には何のコネも実績もなく、韓国入国してもなお許可を得ていないことで自信喪失していた。

たまたま宿泊した宿で何をしようとしているのか話をしてみると、幸先よく僕を援助しようと手を差し伸べてくれた人たちがいた。韓国人の副社長とモリさん、シンド君だ。彼らを伴いいざ釜山港の税関へ。モリさんは、「副社長はここでは人脈もあるし押しが強いから頼りになるはず」といってくれた。これは通訳以上を期待していた。
しかし、いざ厳しい税関の前に立つと剣もほろろでに「入国の時にカヤックを持ち込みそれを使うということを申請していないから許可できない」という。何を言ってもガンとして聞かない。表情ひとつ変わらないだけに相当手ごわい相手だということは明らかだった。さすがの副社長も税関さんに同意し始めている。到着2日目にしてあっさり僕の横断計画は泡と消えたのだった。あとはヨスから釜山まで漕ぎ、その後対馬までフェリーで渡るか、黙って海にでるかである。もしくは一度日本に戻って良く分からない船の申請し再入国するか。
どうするか決め切れず、そんな途方にくれたときにとった一コマ。思いをはせる対馬の方へレンズと目を向けてみる。たまには見えるというが、これだけ天気が良くてもまるで目にすることはできなかった。
遠い。
圧倒的な海、海、海の中で果たして1人で乗り切れるのか。
いまさら自分がやろうと決めたことに対して一歩引き下がりたくなった。許可がおりないことを理由にこのまま背を向けて帰ろうかと。
やらずに帰ればまた後悔することは目に見えている。
漕ぎたい → 怖気づく → 許可下りない → 仕方ない → 後悔する → やっぱり漕ぎたい
を何度もループし、時間だけが過ぎていく。
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