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ガス抜きのつもりだったけれども
- 2011/04/09(Sat) -
P3210298.jpg
2011.03.21 μ1030

震災後の連休、カヤック仲間と自転車を漕ぎに八丈島と三宅島へと向かった。
それぞれ被災地にこの後出向くことが決まったため、その前に少しはガス抜きしておかなくてはということで予定をキャンセルすることなく、こうして旅に出かけたのだった。

最終日、空路東京へと戻りそのまま被災地入りと思っていたのだけど、三宅島では思いもしなかったガス警報が発せられた。レベル2とのこと。空港とは反対側の民宿にいたところ、ガスの濃度が強くて飛行機は欠航ということになった。仕方なく時間のかかるフェリーに切り替えた。
島民は全員ガスマスクを携帯することが義務付けられている、と案内には書かれていたのだけど、誰もそんなもの身につけていなかったし、強要されることもなかった。わずかにガス臭いと思う場所も通ったけど、大涌谷くらいなもので、それほど気にする程でもないなと思っていただけに、欠航とは大げさな、と疑わざるをえなかった。

フェリー出航の時間となり、三宅島の東岸の港へと向かう。すぐ間近には空港もある。
民宿のおばちゃんに車で送ってもらったのだけど、突然車内に臭気が漂ってきた。
「お~、これこれ。山の方見てみ。紫がかってるだろ、あれが火山ガスだ」と男勝りの口調でそう語るおばちゃんが教えてくれた。
見ると雲とも霧とも言えぬ、色味ががかったモクモクが集落へと降りてきているようだった。
くさくてなおかつ恐ろしい。

出発前の朝、民宿のおばちゃんは震災のニュースを見ながら涙を流していた。つい数年前の被災のつらさを思い出し、共感していたようだ。僕にはここから帰れば家があり、食べることに困らず、欲しいものが手に入る生活を今でも続けているからどうあがいても彼女や被災者の気持ちのレベルに心を合わせることができない。それがつらかった。

20年周期で活動を続ける三宅島。5年避難生活をして、生活再建のために5年の月日が経った。
そしておそらくまた10年後に火山活動が活発化すると言われている。
先祖を守りここで暮らす人たちの逞しさにはとても敵わないなと思った。
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