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白と黒の幻想的世界
- 2011/02/28(Mon) -

2011.2.27 μ1030

夜の9時に標高1400mほどの御殿場口太郎坊という場所から登山を開始。風はまだまるで吹いていなかった。
エベレスト登頂2回というエキスパートラビは、夜中であれば突風が吹き荒れることもなく、昼よりかは安全に登れると言い、彼に従って夕方から仮眠を取って出発した。

ほんの数ヶ月前、標高5000mを超えるキリマンジャロの最終アタックで、不眠と体調不良で意識が朦朧とする中1000mの標高差を上がらなければならなかった、あの地獄の時間が思い起こされる。眠くてたまらず、何度もふらついて危うく崖下に落ちそうになったことか。
あの時は夜中の12時出発。この日はさらに早い21時出発。標高差は2000mを超えている。

なだらかなコンクリートで覆われた道路を30分ほど歩いて、新五合目に到着。ここからは山道となる。
しばらくはさほど雪がない道で安心感もあった。風もほぼ無風。
2時間ほど登りつめたところで、山は完全に雪で覆われていた。次第に足跡もなくなり心細くなる。
上を見上げれば真っ白な富士山頂が暗闇の中でもうっすら光を放っていて、神々しい。

200mおきに立っている道案内のための柱を目印に登るが、その目印には標高も、方位も何も記されてはいない。しばらく足元に転がっていた区画のためのロープも途絶えてしまった。
さらに登り続けること1時間。
完全に雪山の様子を呈してきた。見上げれば一面の雪斜面。はるか後方には御殿場から裾野、そのさらに先の街の光が輝いている幻想的な空間を目にすることができた。

あれだけ踏み跡があったにも関わらず、ウェザーステーションと書かれた小屋を過ぎてからはまるで足跡がみつけられなくなってしまった。
そうこうするうちにラビはストックの片方を落としてしまう。指のない彼はストックの紐を手首に通すのがおぼつかず、一瞬のうちに雪面を滑り落ちていき、見えぬ彼方へとストックは滑り落ちて行った。
「・・・・」背筋が凍る。
僕は10本歯のアイゼンを履いていたため、足元ががっちり氷にかみつき、歩きやすかったのだけど、ラビは簡易アイゼン、2本歯しか携帯していなかった。そのため道を探すために横へとトラバースするのにとても苦労を強いられた。事前の情報収集により、ほぼ岩場を登ると仮定していたために、アイゼンは軽いものしか持ってはこなかったのだった。

夜中の1時を回り、まだどこまで自分達がどこまで登ってきているのかが分からないでいた。目印がまるでないのだ。さらに突然風がビュービューと鳴り響き始めていた。足の指先もわずかに痺れ始めている。
さらにはラビのアイゼンが足裏から外れてくるりと回り滑って転ぶ。それを起こすことを何度か繰り返していると、
「この状況で頂上までいけると思うか?」とラビは僕に聞いてきた。
「無理だろうね」と僕は応える。
お互いの情報不足、準備不足だったと言える。怖くてたまらなかった僕は、ちゃんと生きて帰れることの安堵感でほっとした。
日が登った後であれば、見通しもあり歩きやすかっただろう。ただしお日様が上がれば風はさらに吹き荒れて足元をすくわれることもある。
そしてついには引き上げることに決めたのだった。

下山途中、突如僕のヘッドライトは消灯した。新しい電池を入れたばかりだというのに消えたということは、故障である。これが頂上へ向かう途中に起きたことだったとしたら、とんでもなく危うい状況に陥っていたことだろう。

かくして駐車場へと戻ると時はすでに3時半。計6時間以上歩き続けていたことになる。
またいつか挑戦しなければならなくなったが、まだ僕はその時ではなかったようだ。
ラビにもっと事前に冬山に関する情報を伝えていなかった僕の失敗でもある。

それでも十分に異次元での体験で楽しかった。白と黒しかないモノトーンの世界でもあった富士山中は、また格別の魅力溢れる場所でもあった。
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