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再会
- 2011/08/06(Sat) -
DSC03090.jpg
2011.6.7 NEX-5

笑うマネキンとの再会。どうやらタイのマネキンはこれが標準らしい。

街を歩けば必ず笑いマネキンに出くわす。男も女もどいつもこいつも笑っている。笑っていないのは首がないやつだけだった。
ここは微笑みの国だというのにこの大笑いはどういうこっちゃと思うのだが、ついついそのあまりの陽気さに目がいってしまう。これで購買意識が得られるとでもいくこのなのか。
この彼女は肩を負傷したか首が折られたかで手当てをされているところだった。
あまりに馬鹿馬鹿しくもあったけど、ついついまたこいつを写真に撮りたくなってしまった。

街ゆく人を写真に収めるには相手との間やジェスチャーによる許可、その他こちら側の勇気などが試され、なかなか好き勝手にとることができないけど、マネキンなら無許可。誰にも気兼ねなくカメラを構える。
今回は一眼だ。ばっちり構図を決めようとじわじわ近づき、背景をぼかしながら、しっかり肘肩を固めて写真に収めた。「ふーう、、」といい写真が撮れたと思いふと横を見やると、何人かのおっちゃんやおばちゃんがこちらを見て訝しげに微笑んでいた。


誰がこんなアホなマネキン相手にがっつりカメラを構えて撮るだろうか。
うーんでも個人的にはいい被写体なのだ、こいつが。

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タイ文字学習法
- 2011/08/04(Thu) -
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2011.6.17 NEX-5

NAKHON SAWAN。観光地でもなんでもない地方都市、バンコクから北へ約300kmほどのところにある。

街から街へと移動する自転車旅行者にとって、こうした街にたどりつくと心底ほっとする。田んぼしか見当たらない景色を数時間走り続けた後、夜を明かす宿や、冷たい飲み物の手に入る商店、そして屋台と安全を確保できる安心感から、まさにオアシスのような存在に思える。

タイ入国当初は街中の看板が一つも読めず、ホテルは見つからないことで散々苦労した。
外国人客などあてにしていない地方の名の知られぬ街では、看板や案内板などのアルファベット表記が極端に少なくなる。英語に中国語、さらには韓国語をずらりと並べる日本のオーバー気味な対応に比べると、なんとドメスティックなことか。でも自国の言語を誇りに思っている辺り、嫌いではない。

この困難に立ち向かおうとなんとか勉強を重ね読めるようにはなったが、そのスピードはとてつもなく遅い。
自転車に乗りながら看板を目にして読める位置まで近づいても、左から子音と母音を組合わせて「ロ」だの「ン」だの一文字ずつ時間をかけて読み込んでいる間に通り過ぎてしまい、最後まで単語として読み切れないことの方が多い。
また、読めたからといってその意味を理解することができないこともまた多い。
しかしこの暗号解読のようなタイ語の読解が楽しくて仕方なかった。長いサイクリング中の気晴らしにもなっていた。
街から外れた道路脇には、標識を始め様々な看板が立ち並んでいる。そしてそれは繰り返し何度も現れるから、覚えやすい。こうして僕はタイ語をわずかに読みとれるようになった。これはなかなかいい勉強法だったと思う。

まあそこには、「この先Uターンあり」とか「学校あり」、または「この先工事中」などといった日常会話ではほぼ使えない言葉ばかりだったけど。

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没頭する人に学ぶ
- 2011/08/03(Wed) -
DSC03222.jpg
2011.6.12 NEX-5

「闇の子供達」という邦画をタイ語学校の同級生に紹介され観た。
2008年上映と出ていたからもうだいぶ前に話題になっていたのかもしれない。そうそうたる出演者だった。
この映画のうんちくは控えるとして、シーンの中にぶくぶくと肥った西洋人が10歳にも満たない子供を買春しているシーンが描かれている。表現上西洋人だけかと思ったら、主人公がかつて買春したことによるトラウマを引きづっていることがストーリーの本線にあった。

こうした世界をまるで知らずに出かけた先タイのフアヒンでは、街中にタイの女性と手をつなぎ闊歩している西洋人の姿を多く見かけた。理由はよくわからないのだけど、恋人、または夫婦とは思えないべたつき具合で、どうにも見ていて気分が悪くなった。
日本人である僕自身も、ソロでの旅行者+タイへの再訪=夜遊び(女がらみ)と思われるふしがあるということは、周囲の反応でよく分かった。

バンコクから200kmほど南西の町、フアヒン。
海岸に面し、高級感漂う高層マンションが何軒も海沿いに連なっている。見かけは綺麗だし、過ごしやすそうだったのだけど、始めて目にしたファランと呼ばれている西洋人が日中から恥ずかしげもなくタイ人の女性を買い、連れまわしている様を見せつけられただけに、あまりいい印象がない。

しかし夜、街中を歩けば素朴な人達が仕事をし、そして生活していた。
ある店を覗くと、夜も10時過ぎだというのに一心不乱にフラワーアレンジメントしている商売人がいた。
ダークサイドとは無縁の、一つのことに熱中している彼を僕は写真に撮りたかった。
タイを旅する自分が偏見の眼差しで見られることに嫌気がさしていたけど、仕事にまたは好きなことに没頭する彼に自分の姿を重ね、救われる思いだった。

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焼き鳥親父
- 2011/07/23(Sat) -
P6270421.jpg
2011.6.27 μ1030

タイ東北部、無人地帯を抜け、次第に民家も増えだし、あとはもうノーンカーイまで安全に走りきれると安心し始めたころだった。
もう少し行けば食堂でもあるだろうと思い漕ぎ続けていたが中々お店がない。朝飯をスキップし、昼も食べれず、いい加減エネルギーが尽きかけてきたころ、ちょうどいい具合にこの親父さんが道端で焼き鳥を焼いていた。
東北地方ではカイ(鳥)・ヤーン(焼く)というらしく、ここではその名称通りの焼き鳥は名物らしい。
まぁ味は日本の焼き鳥とそう大差はない。やせ細ったインドネシアの焼き鳥と比べると、見た目からして肉付きもよく脂が乗っていそうだった。口にするとパリパリ、そしてジューシーでこってりとおいしい。焼きすぎず、生でもなくちょうどいい焼き加減だった。

どでかい洗濯バサミのような竹ばしで挟まれ、一匹まるまる売っている。頼んで半分だけにしてもらったが、100円もしなかったように記憶している。
ふとこうして一日鳥を焼き続ける生き方を想う。
きっと昨日も、そして明日もこうして通りすがり、または乗連客を獲得し、一日朝から晩まで焼き鳥を売っているはず。
何軒も立ち並んでいるのを見ると、競争相手や新興屋台など数々の苦労があったに違いない。それでも客を獲得し、店を存続させてこうして毎日焼き鳥を焼く毎日。
如何にしてここで商売を始めたのか、これまでの苦労、何を想い焼き続けているのか?
会話が成り立たなかったため、勝手に僕は想像してみた。
自分も含め、やれ仕事がつまらんだの、誰それが気に入らないだの、給料少ないなど雇われの身でぶつぶつ文句言いながら働く人と比べてなんと気高いことかと思わずにいられない。
いかさま、ずる賢く稼ごうと思えば、現金収入をもっと得られるだろうけど、親父さんは毎日こうして真面目に鳥を焼いている。

どうしてもそんな親父さんを記憶に留めたくて写真を撮らせてもらった。そんなことを思った旅中の記憶。
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マイペンラーイ
- 2011/07/23(Sat) -
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2011.6.23 μ1030

長かった峠を一日かけて登り、翌日待望の下りが待っていた。直線的だった登りとは打って変わって、下り道は日本の峠道のように何度もカーブしていた。
素早く駆け下りてしまうのが惜しくて、気持ちよく風を受けながら飛ばしすぎずゆっくり味わいながら進んでいく。その気持ちよさに酔いしれていると、前方に自転車が見えた。
この先20kmは下り道が約束されているこの坂道で、同じ方向を向いているのに自転車を押していた。

何かトラブルでもあるのかと思い、慌ててブレーキを握り自転車を横付けした。
話を聞いてみる。
「どこか故障でも?」
「マイペンラーイ」(大丈夫という意味)
「工具ならあるけど」
「マイペンラーイ」
これまで散々タイ人には親切を被っている。僕が何かできて、気持ちを返せるのはこのタイミングしかない、と思い工具を見せる。よく見るとブレーキパットがひん曲がり、タイヤの回転を邪魔していた。
試しにレンチでパッドを動かしてみる。
慌てた様子もなく「マイペンラーイ」
ここまでその彼はこの言葉しか発していない。

次の街までまだ30kmは残している。そこまえ歩き通すとでもいうのか。
せっかく登ってきた道を、スピードに乗って下らずして峠を越えるなど僕にはできない。下りがあるからきつい坂も登ることができる。その快感は峠を越えてきた人にしか分からない。

自転車はただの移動手段?
そういえば荷物もただならぬ量で、すべての家財道具をむりくり自転車にくくりつけているようなスタイルだった。
どこへ向かうのか、何のためか結局タイ語で聞けずじまい。
修理もあまり手を出せずに分かれてしまった。

僕はこの後後ろ髪引かれる思いながら一気に20km、坂道をほとんど漕がずに下った。
一日も終わりかけた頃、彼はどこまで歩いて進めたのだろうかと気になった。
きっとあの後も、たくさん援助に「マイペンラーイ」といって遮り、自力で町まで下りていったのだろう。

こうしてこの旅中最初で最後、タイ人の自転車乗りに出会ったのだった。
タイ人の口癖とも言える、マイペンラーイを聞くたびに僕は彼のことを思い出してしまう。

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