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予定外出国
- 2014/08/17(Sun) -
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2014.8.11 NEX-5 対馬厳原

敗戦気分のまま一時対馬の厳原へ。釜山の税関との交渉がいともあっさり終わってしまい、八方ふさがってしまった。打つ手もなくただ日長海を見て飲んで食っちゃ寝していても仕方なく、一旦隣の国に帰ることにした。対馬の税関の方にあって話をしてみれば、何かくぐり抜ける策ががあるかもしれない。どうしても叶わぬというのなら、ルートは逆だが日本から韓国に渡るというのもありかもしれない。いやもう韓国になど戻らず、対馬から本州に渡ってどんどん先に漕いでいくのもいいかもしれないとさえ思い始めていた。

台風12号も遠くへと去りゆくなか、まだうねりは残っているが、大韓海峡を今度は高速船で再度渡る。二度目の下見となった。この海況なら問題なさそうだと思えるそんな様子だった。翌8/12 になれば予報ではさらに風は収まり波も低くなる、8/13 さらに穏やかになりほぼ無風。8/14 波はほぼ0mというのが信頼する海峡の海上情報だった。

打てる手はできるだけ多い方がいい。釜山を出る直前に一応韓国の通訳兼手続き交渉人に会って相談してみた。名前をカンさんという女性で彼女に手数料を支払い、釜山の税関や出入国の必要な手続きを詳しく当たってもらうことなっている。
対馬到着後、早速そのカンさんから連絡が入る。
「税関とも話が済みました。特別な書類を作る必要がありますが、カヤックでの出国はできます」と。
気持ち半分諦めていたところに思わぬ朗報だった。
ではいつ戻るかだ。このままとんぼ帰りか一日置いて明日帰るか。遅いと天気はまた荒れてくる気配もあった。
「出発日、出発場所を決めて再度連絡を下さい」とのこと。
決心のときが来た。逃げるわけにもいかない。高額な手数料と高速船の往復運賃、これらを払うかこの先の日本を対馬を旅する易きに流されるか。しばらく悩んで神社にも行き、ついには決めた。
8/12、ここ厳原から釜山に戻る便は1便しかない14:40分発。16時半に向こう着いて交渉してカヤックを組み立てなど、8/13朝に出発までの準備の時間は果たして取れるのだろうか。慌ただし中出発してもろくなことにはならない。

夜、友人から「月すごいきれいだから見な」とのメールが入った。
海ばかりみて、天気ばかり調べていて空を見ることを忘れていた。彼女の指令通りよなよな歩きに出て月を探す。しばらくすると辺りを照らしだした。
このタイミングはどんぴしゃだ。間違いない、海を渡れる。
半ば離れていった夢が一気にまた手の中へ戻りつつあった。

いや待てよ、スーパームーンてことは大潮でねえか?8/13まで潮は大きく流れるんだったということをふと思い出し我にかえった。
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再度韓国へ
- 2014/08/15(Fri) -
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2014.8.9 Ricoh PX Pusan

「みなちゃま、ありがとうごじゃいます。本しぇんは間もなく、釜山港にごとうちゃくいちゃちまちゅ」
日本を出るまでにカヤックでの横断許可を取っておきたかったのだけど、間に合わず叶わず、とりあえず来てしまえばなんとかなるという甘い考えで、博多からニューカメリアというフェリーに乗り釜山まで来てしまった。この海沿いの大都市がちっぽけなカヤックの前に突然表れていたとしていたら圧倒されていただろうと思う。
前回はここから100km西のヨスという町で期限切れとなり、釜山の一歩二歩手前で終わってしまった。であるなら本来、自分なりにこだわりをみせるのならヨスまでわざわざ戻らなければならない。あの、最後にお世話になった海洋警察署の港に何らかの手段を用いてカヤックと共に帰るという面倒なことをしなければならないのだが、今回の休みの日程はそれほど長くはなく、すでに台風11号が南から上がってくることは分かっていて、それをやり過ごさなければいずこの海であろうとカヤックで出ることはできそうになかった。
海峡横断のみに絞り待つか、比較的海が穏やかな南海岸のヨスからスタートして巨済島(コジェド)まで行き、当初の予定通り海流を考えそこから島渡りするか、どちらにしてもまだ踏ん切りがつかなかった。要するに決断することが怖かったのだ。

1年ぶりの韓国入り。その間あの事故があり、この海域をレジャーするのがどうかとも悩んだ。あの、海洋警察にしたって遊んでる奴を相手しているほど暇でもないし、世間の風当たりだって強いはず。また自分にしても100%渡りきれるという自信も保障もなかった。ただやると決めたからにはやりきるという思いだけがある。
たとえそんな思いがあろうとも、韓国側の出入国と税関の許可が出ていない。これまでサポート船をつけて、両国の出入国時にはカヤックを船に乗せ、少し沿岸から離れてから船を降ろし、また韓国入国時にもカヤックを港手前で引き上げるという方法で横断に成功しているチームがあることは情報として得ていた。つまり、高額の漁船援助料を払える懐に余裕があるか、団体でツアーとして渡るイベントに参加するしかなく、まだ援助船なしの横断は開拓されていないと言えた。どこかには過去に、誰にも報告も自慢も吹聴することなく両国の許可を得て渡ったという人がいるのかもしれない。
ところがつい一カ月程前、タンデム艇で僕とは逆のルートで日本を出国し、韓国釜山入りを果たそうとしている二人組の事を知り、ついには援助船なしに山口県から島をホッピングし、韓国に入国したということをFacebook経由で知らされた。ひどく動揺した僕は負け惜しみ半分彼らとコンタクトを試み、少し情報をもらっていた。
逆ルートだということの違いもあるし、彼らは彼ら自身で築き上げたネットワークで開かない扉をこじ開け、援助船なしで成し遂げたのだ。その記事を読んだ時、心底ほっとしたのと同時にやはり悔しかった。「先をこされた」と。
と当時に許可が出なかったなどといういい訳は通じなくなる。そんな直前で達成されたことにあせりつつ、しかし自分には何のコネも実績もなく、韓国入国してもなお許可を得ていないことで自信喪失していた。

たまたま宿泊した宿で何をしようとしているのか話をしてみると、幸先よく僕を援助しようと手を差し伸べてくれた人たちがいた。韓国人の副社長とモリさん、シンド君だ。彼らを伴いいざ釜山港の税関へ。モリさんは、「副社長はここでは人脈もあるし押しが強いから頼りになるはず」といってくれた。これは通訳以上を期待していた。
しかし、いざ厳しい税関の前に立つと剣もほろろでに「入国の時にカヤックを持ち込みそれを使うということを申請していないから許可できない」という。何を言ってもガンとして聞かない。表情ひとつ変わらないだけに相当手ごわい相手だということは明らかだった。さすがの副社長も税関さんに同意し始めている。到着2日目にしてあっさり僕の横断計画は泡と消えたのだった。あとはヨスから釜山まで漕ぎ、その後対馬までフェリーで渡るか、黙って海にでるかである。もしくは一度日本に戻って良く分からない船の申請し再入国するか。
どうするか決め切れず、そんな途方にくれたときにとった一コマ。思いをはせる対馬の方へレンズと目を向けてみる。たまには見えるというが、これだけ天気が良くてもまるで目にすることはできなかった。
遠い。
圧倒的な海、海、海の中で果たして1人で乗り切れるのか。
いまさら自分がやろうと決めたことに対して一歩引き下がりたくなった。許可がおりないことを理由にこのまま背を向けて帰ろうかと。
やらずに帰ればまた後悔することは目に見えている。
漕ぎたい → 怖気づく → 許可下りない → 仕方ない → 後悔する → やっぱり漕ぎたい
を何度もループし、時間だけが過ぎていく。
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最後のお見送り
- 2013/09/13(Fri) -
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2013.9.3 RicohPX
DAY17 Dolsan - Yeosu 18km

台風が近づきつつあった。つい昨日までは九州に一度近づき再度西へ、そして日本海へ通るルートだったが、いつの間に進路は変わり、九州へ上陸してそのまま北西へという予定になっていた。
それでも天気は下り坂だ。
一応この日の目標点を40km先に定めるが、早くも行けそうにないと悟る。しょっぱなから向かい潮だった。
海図では流れのサインである矢印マークは記されていなかったが、この便座湾は干潮に向かう下げの時にどこもかしこも大きく潮が南へと流れ出るのだろう。
北に向かう僕は明らかに逆境で、速度は出だしから乏しかった。

向かい潮だけならまだしも、風も強く吹き始めた。
風向きに対して真正面に向かう。横から吹かれるわけではないから安定はしていた。湾内だからぎりぎりセーフだけど、外洋に出たらアウトだろう、とそう判断するしかなかった。
4時間かかってわずか18km。ひとまず一回上陸する。
だけれど、街が大きくどこに船をあげていいのか分からなかった。
巡視艇のほうへと向かい、彼らに事情を説明すると快く案内をかって出てくれた。
誘導されるがまま、ドックのほうへと向かう。
高層ビルに大きな橋、綺麗な街並み。インチョン以来久しぶりの街だった。

ここでも上陸時にはたくさんの手助けしてくれるポリスの方たちがいた。
朝から見送られ、町に着けば迎えられ。

翌日どうしようかと悩んでいると一日は猛スピードで過ぎていった。
まずは心落ち着かせるホテルを確保できた。
調べて明日朝までに、以降先へ進むか、ここで一旦休止するかで悩み決断しなければならなかった。

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便座型半島を往く
- 2013/09/05(Thu) -
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2013.9.2 RicohPX
DAY16 Jijuk-ri - Dolsan 49km

少しは向かう方向へと潮が流れているかと地形から予測していたのだけど、そんなに甘くはなかった。時速4km/hしかでない場所を4時間漕ぎ続け、午前中でバテテしまっていた。
目標物が遠くに見えるのはいいことなのだけど、それがまるで近づいてこないことでより気持ちがしんどくなる。
相変わらず巡視船は代わる代わるでときにいなくなったり見失ったり、ときに接近してきたりする。
あまりにスピードが遅いもんだから彼らも退屈するのだろう。一度は船を寄せてきて、サイレンをならし、危険を察知しているのかと思えば、「お水ありますか?」とか聞いてきてくれたりする。
「エンジン音が嫌いなので、距離を保って下さい」とこちらから要望を言えば、きちんと離れてくれる。
今日の巡視船の方たちはほどよい距離感を保ってくれていた。
しかし、急に時間帯なのか次から次へとフィッシングボートが猛スピードで沖合に出ていく場所があった。
トッピーのような高速船も突っ込んできたりする。こちらで効果があるのか分からないけれど、カヤックを止め、パドルを立てに空に向かって突き立て、こちらは動かないからあんたが避けてくれと合図する。
がしかし、決められた航路を行く高速船だけは少しも譲らず直線的に突っ込んできた。

巡視船がフィッシングボートの航路を修正しにか前へと出て対面通行できるように交通整理をしてくれているようだった。ありがたい。
広いところから湾内に入るためか、大型の巡視艇が去っていく代わりに2人乗りのものボートが目的地の方面から迎えにきていた。
ここ数日積極的に頼ることにしている。彼らを無視して自分だけでという態度が良くなかったのかもと反省。
とはいえ一日の最後にどこへカヤックをつければいいかを尋ねるくらいだけど。
喜んでついてこいついてこいと言って案内してくれる。

半島の南側はリアス式海岸のようにいくつもの突き出た岬や島がある。その間はチャネル(海峡)になっていて、潮が強く流れ出たり入ったりしている。方向と時間を見誤るとまるで先へ進めなくなる。
ここDolsanと言う場所は、便座のような形をした半島で、便座の先っちょ側にあたる部分だ。
明日、便座の外を回るか、中に入りウォッシュレット噴水口あたりに位置する水路から外洋へと出るかで悩む。
風が強まってくるのは明らかな天気図だった。

夜は疲れていたけど、トイレットペーパーが散乱しているような汚い宿しか街中にはなかった。期待は外れた。
しかも3500円近く取られ高い。民宿のようなところだったから、食事つきかと思って珍しくあまりおいしいとも言えないキムチを頂くと、食事代も取られた。こんなついてないこともあるのだ。
財布から一気に札が消え、2000円ばかしになった。慌てて一軒だけあったATMに駆け込むがキャッシングできず。これまたついてない。
明日はまず大きい街へと向かわずして、先へは進めなくなった。
便座の内湾を通っていくことに決めた。
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メーテルなき銀河鉄道の旅
- 2013/09/04(Wed) -
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2013.9.1 RicohPX
DAY15 Maryang - Jijuk-ri 49km

気づけばパドルとともにクラゲがたくさん横に流れていた。もう9月に入ったのだ。
残りの日数と距離とを考えると、もう遊んでる余裕も漁師仕事している猶予もなく、またひとたび天気さえ荒れてしまうと目的を果たせない。毎日必死に漕いで先へ先へと向かわないとならない。

先を急ぐ旅と化してしまったのだけど、この海域は韓国に来てからこれまでで一番の絶景だった。
小さな屋久島のような島々、ないしは半島から突き出た岬が連続している。10km~20kmの横断は数度重ねながら「あーきれいだな」とか「おぅー」とか1人でぼやきながら一気に東へと向かう。
でもスピードはあまり出ていない。潮のパターンは南へか北へ向かう流れで、時に3km/h、たまに6km/h程度だ。沿岸部にはさほど西から東へと流れる海流が届いてはいないようだった。
のんびりふわりとカヤックをふわりと持ち上げる下げるの波が時々入ってきたりする。
西海岸ではなかったうねりだ。外洋へと近づきつつあることを知る。

この日の当初の目的地まで65km。対馬横断に備え最後の調整をしようと距離を長めにとりたかったのだ。
ちなみにねらうは釜山の手前の巨済島。魏志倭人伝の時代まで遡れば、朝鮮半島から対馬へと海流と潮流を活かして渡ったとするなら、距離的に近い釜山ではなく、ここ巨済島だとされている。2000年近く前の時代の技術に則って僕も航海をして渡りたい。

しかいこの日は結局17時過ぎ、50km地点で先へと進むことを断念したのだった。潮の流れをうまくつかみきれず、時間ばかり費やしてしまった。
疲れもあり先へ進むのを諦めたはいいのだけど、夕方近いため早くこの日の上陸地点を決めなければならなかった。なければ諦めたけれど、さらに先へと進まなければならない。
運よくも岬からひょいと隠れた場所に小さな小さな上陸できる集落を見つけた。

じーさんとばーさまが出迎えてくれた島へと上陸した。
港でキャンプしていいかを彼らに身振り手振りで聞いてみる。着いた先々でいろんな人たちに会う。同じ国なのにどこもまるで違う接し方をされる。
ここはとんでもない僻地だったけど、Wi-Fiが飛んでいたりして怪しくもPCを持ちながら集落内の歩き回り仕事もできた。お酒も売っていた。ご飯やフルーツのおすそ分けにもあずかれた。ばーさんの家の軒先にテントも張れた。ないのはシャワーだけだ。これまでどこでも水で潮を流せたけど、ここではかなわず。
いろんな人が話かけにくるけど、ハングルだけでまるで会話が成り立たない。あっというまに人も去っていき、9時には集落全体が静まりかえっていた。

南側の海岸はまるで銀河鉄道999の旅のようだ。

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